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伝えたい。伝えなきゃ。

2011/10/20

Tomohiko Yoshida

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取材からもらうパワー

只今、未だかつてない、とてつもない巨大な執筆の山を這い登り中。大きいし、高いし、深い。埋もれているって感じもしますが…。
そんな中、5年前から個人的に撮影取材させてもらっている農村歌舞伎へ。一カ所でここまで長いスパンで通わせてもらっている場所は他にない。自分にとって、取材とはなんなのか、写真とはなんなのかを教わっている場所でもある。そして、「伝えたい」「伝えなければならない」という使命も感じて、それが自分のパワーにもなっている。
本当にありがたい。

そして、これだけ通っていると、なんだか癒されている自分もあって、救われている気持ちにさえなる。

感謝です。

伝えまくるぞー!

金魚掬い

2011/09/19

Tomohiko Yoshida

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地元の秋祭り

昨日の夕方、原稿書きで頭がスタックしたので、気晴らしに近所の神社で行われている秋祭りに行ってみた。

そこは普段、とても静かな場所でとても好きなのだけれど、この日はものすごい数の露店と人出で面食らった。

境内ではいつも戸が閉ざされている神楽殿が開き放たれ、大黒様が舞っていた。お菓子をばらまいては、小学生たちがこぞって奪い合う。中には大人もちらほらいた。
この一見争いごとに思える菓子撒きは、自分の意志でお菓子をつかみ取ることで功徳を得るという考えらしい(熊野の餅撒きで聞いた)。

そんな風習が、この東京23区に残っているのが面白い。

境内は、浴衣を着た女の子や甚平姿の男の子たちであふれかえり、豆鉄砲や金魚掬いに興じている。

明治時代の廃仏毀釈で統合されたらしい末社の小さな祠や戦時中の空爆の爆片が当たって傷ついた灯籠もテキ屋の兄ちゃんや参拝者に囲まれてなんだか楽しそうだ。

ぼくが育ったのは隣町だから、この神社を小さい頃から知っているわけれはないけれど、常にめまぐるしく更新されていく東京の中で「変わらない」「変わってない」場所があることは気持ちをホッとさせる。

なにか根っこに触れている感じ。
なんだか「そうだ、そうだ。こうだったんだ」と思える感じ。

自分でも金魚を掬ってみた。
獲物1匹。店のオヤジの情けで、3匹くれた(涙。
近所の道路っぱたにある池に放した。通りがかったおじさんが苦笑い。
これで池を覗く楽しみが増えた(笑。

なんか寂しい

2011/09/07

Tomohiko Yoshida

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うつろう季節

朝から久しぶりの快晴。
でも、なんか四六時中寂しい気持ちになってしまった。。。
夕方、キレイなお月さんが浮かんでた。




再びの松江へ

2011/09/06

Tomohiko Yoshida

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卒論で書いたラフカディオ・ハーンの取材へ行くことに

ある雑誌の取材で島根県の松江へ行く事になった。
松江はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)所縁の地。

ぼくは、大学時代、専攻は英文科だった。しかし、英文学よりも国文学の方が好きで、「だったら、なんで国文科へ行かなかったんだ?」と言われるだろうが、成績が英語の方がよかったのだ(笑。でも、英語力はないけど…)。

そして、卒論をやることになったとき「なんとか国文学で書けないものか…」と考えて思いついたのが、ハーンだった。
ハーンはギリシャ人の母とアイルランド人の父を持つハーフだが、たしか40歳くらいで日本に来て松江に住んだ。後に、小泉八雲という名で帰化して、「耳なしほういち」や「ろくろっ首」などで知られる『怪談』を書いたといえばわかる人も多いだろう。

ハーンを題材に決めると、ハーンが惚れ込んだ街、松江へ向かった。
松江は城下町であり、日本屈指のお茶の街でもある。そして、島根県の県庁所在地。
松江を訪れたぼくは、ハーンの文学と、松江が持つ豊かな自然と、自然に折り合いをつけて暮らしている独特の落ち着いた空気と智慧をつぎ込んで重ねてきた文化に酔いしてた。松江は出雲大社の隣にあり『古事記』に出てくる史跡が周囲にたくさんあったりもする。

それ以来、松江は
「一度住んでみたい街」
になっていて、20年以上経った今も変わらない。

写真は、どうしても原書で読んでみたかったハーンの遺作
”JAPAN an interpretation(邦題『日本〜ひとつの詩論〜』)”の初版と大学当時、研究に松江を訪れた時に撮った写真だ。

当時、ひょうんなことから、八雲の孫の小泉時さんと知り合い、ご自宅までお邪魔していろいろな貴重な資料や思い出話をお聞きした覚えがある。今回は、その時さんの息子さんにもお会いする。

楽しみだ。

書き上げた卒論は、教授に
「君のは卒論というよりもエッセイだね」
と言われた。

卒論としては的外れだったのかもしれない。
しかし、
読んで、歩き回って、調べて、感じて、書く
という楽しさを初めて知ったときだった。

あの作業は、今の仕事の起源になっていると思うことがよくある。

そして、なぜか最近、大学時代に好きだった場所へ再訪する仕事がパラパラとある。
これはどんなサインなんだろう。

いずれにしても楽しみだ。
あのときよりも冷静に、深く、取材したい。

お礼参り

2011/09/01

Tomohiko Yoshida

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王子稲荷神社

2泊3日の取材で、東北の山に行ってきた。
1日で標高差1700m、10時間の登りという人生初体験の急登だったが、景色の素晴らしさと自然の豊かさに魅了されて、ホイホイ登り切ってしまった。

この強行軍に備えて、事前に足慣らしに近場の山へ行きたかったけれど、天候や仕事の都合で行くことができなかった。そこで、せめて近所でも歩こうと思い立って、直前の二日間、そこら中を歩き回った。

その一日目に向かったのが王子だった。
早足でゴチャゴチャ歩いて往復3時間。王子に着くと、江戸時代の浮世絵師、広重が描いた「王子稲荷神社」を思い出した。田園が広がる夜、狐たちが集まっている絵でとても印象的だった。

せっかくならお参りしよう。

と、王子稲荷神社へ向かった。

神社は小高い丘にあり、鬱蒼と茂った社叢がお稲荷さんが持つ霊験の強さを一層強めているような独特の雰囲気がある。でも、境内には幼稚園があって、その日は運動会のようで、テンポのよい軽やかな音楽にのって子どもたちの歓声が聞こえてきた。

お賽銭を投げ込んで、今回の山行取材の無事をお願いする。

そして、帰ろうとすると、
後ろから声がした。

「ちょっと。ちょっと・・・」

振り返ると、右手をお賽銭箱に突っ込んだおばあさんが眉をハの字にしてこっちを見ている。

「手が抜けなくなってしまって・・・」

と訴える。
賽銭泥棒?
と思ったが、それにしてはちょっと間抜け過ぎるし、そんな悪い人でもなさそう。
近づいてみると、賽銭箱の格子の下には、狭い板のすき間を通らないお札が二枚、ひっかかったままだった。

「お札を奥まで入れようとしたら、手が抜けなくなってしまったんです」

その賽銭箱は大きい上に石の台に載っけられていて、箱の口は、小さい女性には目の高さくらいある。だから抜こうと思うとそれよりも高い位置から腕を引っ張る必要があり、年配のその女性には無理のようだった。

おばあさんをちょっと抱えるようにして腕をそっと引っ張ると、すんなり抜けた。

「ありがとうございます。助かりました」

とおばあさんは安心して額の汗を拭くと、今度は、一礼して帰ろうとするぼくに話し始めた(笑。

それによると
おばあさんは、自分のお母さんの代からこの神社にお参りする習慣があって、願いをよく聞いてくれること。
以前に願掛けをして、叶ったけれど、いろいろあって長い間お礼参りが出来なかったこと。そして、今日やっと来れたこと。
だから、お礼をちょっと弾んでお札を入れようと丁寧に格子の奥へ手を入れたところ、腕が抜けなくなってしまったことを教えてくれた。

「遅くなったのを怒られたんですかね」

と冗談を言うと、おばあさんも笑いながら答えた。

「そうねえ。でも、あなたが助けてくれた。これも何かの縁ねぇ」

「じゃあ、ぼくもきちんとお礼参りしなきゃ駄目ですね」

「なにかお願いしたの?」

「はい」

「じゃあ、ちゃんとした方がいいですよ」

「ぼくもおばあさんに会わなかったらお礼参りしないかもしれませんでした。ありがとうございます」

そう言うと、おばあさんは、「この近くにあるくず餅屋さんが美味しいから一度食べてみて。私は葛飾から来たけれど、船橋屋のよりも美味しいよ」と言って帰って行った。

自分の家に近い老舗のくず餅より美味しいと言うのだから気になり、食べてみたら船橋屋の路線とは違った、本当に美味しさくず餅だった(船橋屋の張りのあるものより柔らかく優しい食感)。



そして、昨日、無事に山を下りることが出来た。
下山は雨になり、ツルツル滑る岩場で何度か転んだ。その時、トレッキングポールが1本折れた。普通なら折れたことにショックを受けるだどうが、なぜか、その時は

「自分の骨の代わりに折れてくれたんだ」

と思えた。

だから、今日、ひどい筋肉痛だが、スクーターに乗ってお礼参りに王寺稲荷神社へ。

お札ではないけれど、ちょっとお賽銭を弾んで箱の中へ滑らせ、大きく鈴を揺らして拝んだ。

ありがとうございます!

初めて印刷屋へ注文

2011/07/24

Tomohiko Yoshida

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名刺を作る

サラリーマンを辞めて以来、名刺は自分のパソコンで印刷したものを使っていた。
しかし、いつもなくなる寸前に慌てて名刺用紙を買いに走って、刷っていた。
そして、きちんと印刷屋さんに頼んで大量のストックを持っていたら煩わしくないだろうな…と思っていた。

ただ、単に文字で自己紹介するようなものではなく、一発で渡す人に自分のしていることが分かってもらえる名刺にしたい。それを自分でデザインしたいと思っていた。

そして、今年に入ってから本気で印刷屋さんで名刺を作ってもらうためのデザインを考えはじめた。

すると、これがなかなか難しい。

ああでもない、こうでもない。一度決まりかけると、また思い直して白紙に戻した。
いっそ、シンプルに名前と連絡先だけでいいのではないかと思ったりもした。

そうして、やっと出来たのが写真の名刺だ。

本気で作ろうと思いながらも、納得いくものが自然とわき上がるまで待った。
それがこれか…という感じもするけれど、結構シンプルに出来た気がする。

印刷は大阪にある

レトロ印刷JAM

というところ。

判ずれをワザと「よし!」しとして、ちょっと古い風合いを演出している印刷屋さん。
だから、普通の名刺と趣が違う。

なにか学校の先生がガリ版を駆使して、なるべくキチンと作りました、という感じ(笑。

なにはともあれ、名刺を自分で刷る煩わしさからは解放された。

後は、仕事に集中するのみか(汗。

「拝み虫」赤ちゃん孵化!

2011/06/26

Tomohiko Yoshida

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7ヶ月と23日で誕生。

去年11月2日に仕事部屋で産卵した「拝み虫(カマキリ)」(当日のコラムあります)。
その卵をナイフで根元から切り取り、米粒でダンボール紙に張りつけ、玄関脇の外に置いていた。

それが昨日、孵化した!

卵から鈴なりに垂れ下がる様子は見れなかったが、玄関の周辺を見ていると、ちびっ子たちがあちこちで動き回っていた(写真は、洗濯機の内蓋にいたちびっ子)。

産卵から孵化まで半年以上かかったことになる。

親類の命日に卵を産んだので、「これは分身だ。無事に孵さなきゃ!」と思っていたのでうれしい。

いったい、何匹産まれたのだろう。

そして、何匹が無事に大人になれるのだろう。

夏になったら元気な姿が見れるといいな。