これでいいのだ!

ykn003.jpg 赤い絨毯。脚の折れたクイーンサイズのベッド。プラスチック製のでかいテレビが置かれたちゃちなテーブル。クリーム色の照明器具が、それらの輪郭を柔らかく曖昧に浮かび上がらせている。とめがねが壊れた小さな窓の外には、白い崖の下をユーコン川がちからまかせに押し流れていた。
 「石橋。うるさいぞ」
 彼は、気だるそうにテレビのスイッチを消して、お気に入りの「カナディアン」の缶ビールを口に運んだ。
 安宿の三階にある暗い部屋で、ぼくは、売れるともしれない紀行文を書いていた。その紀行文は、去年、日本の川をまわったときの話だが、書き終えることが出来ずにこの宿まで引きずって来てしまった。それは、どうしてもこの旅が始まる前に書き終えておかなければならなかった。自分の中のけじめとして。
 石橋は九年間勤めていた会社を辞め、アラスカをぶらついていた。日本を出る直前に連絡がとれたのでここで落ち合うことにしたのだ。
 ぼくらは、カナダのユーコン準州の州都ホワイトホースにいる。石橋はここから三五〇キロ下流にあるカーマックス、ぼくはおよそ一六〇〇キロ先のアラスカにあるビーバーまでユーコン川を下る。
 ビーバーは、第二次世界大戦前にフランク安田というひとりの日本人がつくった小さな村だ。飢餓状態にあった北極海沿岸の村ポイント・バローから二〇〇人のエスキモーを連れ、ブルックス山脈を越えて辿り着いた安住の地。日本のモーゼが作ったその村がまだあるのだ。ぼくは、この目でそれを見たかった。
 しかし、宙に浮いた原稿は、それが書き終わるまでの四日間、真夏に光る白い町をぶらついても、メープルの絵が入った缶ビールを飲んでも、ぼくの頭をこの小さな都会にたどりつかせてくれなかった。
 そして、ホワイトホースに来て五日目、ぼくは日本から注文しておいた折畳式カヤックを河畔にあるアウトフィッターで受け取り、出発の準備をはじめた。今回、ぼくはフェザークラフト社のK1という全長五メートルのカヤックを購入した。このカヤックは、他の舟に比べて値が張り、資金不足の身には辛かった。しかし、あえてこれを買った理由は一にも二にも「質」を求めた結果だ。二年前にぼくは隣を流れるマッケンジー川を下った。そのときはフランス製のカヤックを使ったのだが、ゴムでできた底の張り合わせ部分がはがれてひどい目にあった。川の上でいざというときに頼れるのは自分だけだ。できるだけ信頼できる舟を使いたかった。石橋は、同じ店からポリエチレンでできたグリーンのカヤックを借りた。カナダ側のユーコン川はアウトフィッターが充実していて舟やキャンプ道具が一式借りられ、沿岸の町で乗り捨てることもできるようになっている。
 準備をしていると、東洋人がひとり入ってきた。ZEROの大きなザックを背負っているので日本人だと分かった。年は二〇前半に見えるが、かなり落ち着いている。聞いてみるとカヤックを借りてドーソンまで下るという。しかし、店員はカヌー用の大きなドライボックスを取り出していたので「彼はカヤックを借りたいといってるぞ」といってやった。実際、その青年は目の前に出されたものを見てもそれがカヤックなのかカヌーなのかさえ分からない素人だった。もう一度聞くと、カヤックに乗るというより川を下ることすらはじめてだという。はじめての川下りでユーコンを単独でやるというのは、ある意味で大きな冒険だろう。石橋は、しきりに「あいつ大丈夫かなあ」と心配していた。しかし、ぼくには彼が羨ましくさえ思える。なんでもそうだが、「はじめて」というのは鮮烈に記憶に残る。そこで見るもの感じるもの全てが強烈な印象として頭に焼きつくだろう。それがこのユーコンなのだ。極上の初体験になるに違いない。それに、荷物はたくさん載せられるがスピードが遅く風に影響されやすいカヌーよりも、積載に限りはあるがスピードが出て風に強いカヤックを選んだことは正解だろう。幸運を祈る。
 石橋とぼくは、四五缶のビールをいつでも取り出せるように腰まわりにつめ込んで、ソーダ水のように澄んだ川に漕ぎ出した。今まで点であったユーコンがぼくの中で線になりはじめた。
 川は、凄い勢いで流れていた。まるで大地が一塊の帯となって音もたてずに動いているようだ。深閑としていて力強い。
 思えば二年越しのユーコンだ。だだっ広いプラスチックの成形工場で日中夜働き、そこでつくった金で、去年、ぼくはここにいるはずだった。しかし、金も貯まり、あとは航空券をとって出発するだけというときになり、ぼくは決心をつきかねていた。悪い予感がしたのだ。そこには「死」が待っているような気がしてならなかった。そして、ぼくはやり場のない旅への情熱を、日本の川を下り歩くことで解消しようとした。というより、ごまかそうとした。そして、そこで待っていたのは、ぼくではなく、親類ふたりの死だった。それからまた一年。ぼくは遠回りして、いまユーコンの水の上にいる。ぼくは股の間からビールを取り出し、ユーコンに乾杯した。
 町を抜け出した川は、水辺までぎっしりと生い茂ったスプルースの森の中をゆったりと流れていく。そして、森のどこかで「カララ、コロロ」とワタリガラスが鳴き、白い崖の巣穴から岩ツバメが飛び出してヒラリヒラリとカヤックをかわして水面を飛び回った。
 「うおーーーーーーーーー」
 ビールを二、三缶平らげたぼくらは、すっかり気分が大きくなっていた。誰にいうともなく大声で怒鳴りあう。長い間、こんなに大きな声を出していなかった気がする。腹の底から搾り出す声が酒気を帯びた詩となり、ぼくを浄化していった。
 すると上流から返事が返ってきて、黄色いカヤックが現れた。さっきの店でカヤックを借りていた、やけに落ち着きのある青年だった。ビールを一本渡すとあっという間に飲み干してしまった。それからは、その男も一緒になってビールを飲みながら下った。緯度が高いユーコンの夏は白夜の季節で夜中になっても日が沈まない。午後一〇時過ぎ、ぼくは七缶のビールを飲んで、エッグ・アイランドという島に上がった。七時間下って二〇キロしか下っていなかった。
 黄色いカヤックの男は久人といった。福島で建設関係の仕事をしていて、三ヶ月の休暇をとってユーコンへ来たという。いまどき、三ヶ月の休みをくれる企業も珍しい。よっぽどの腕利きなのだろう。年は二二。石橋とぼくが出会った年だ。あれからもう八年がたっているのか。早いもんだ。
 ぼくは、ジャガイモをアルミホイールに包んで焚火に突っ込み、ピューリタン社のベジタブル・ビーフを缶詰ごと火にかけて暖めた。ここの缶詰は丁度いい量でほかの商品に比べて味もましだ。よくキャンプで凝った料理をつくるひともいるが、ぼくはスピードと量を重視する。一日川を下り、腹が減っているときに長々と料理するのはいらつくし耐えられない。そのくせ、うまいものには目がなく、久人がビーフ・ステーキをつくっていたので一切れちょうだいした。簡単にいってしまえば、面倒臭がりなのだ。
 久人が、ウォークマンで映画「スタンド・バイ・ミー」のサントラをかけた。こんなところで電子音なんかと思ったが、一一時をまわり、辺りの色が沈みはじめると昔の曲はしみじみと耳に響いた。みんなほとんどしゃべらず、静かに色を変える火を見詰めていた。今日は飲みすぎたようだ。
 ホワイトホースを出て三日後、ようやくぼくらはレイク・ラバージュに入った。湖に入る手前では、朽ちかけた杭が流れの真中に数百メートルに渡って打ち込まれていた。そこを内陸カモメがシュワシュワと羽音をたてて飛び交う。まるで海に出るようだ。レイク・ラバージュは南北約五〇キロに及ぶ細長い湖で、アウトフィッターの連中は、ファイブ・フィンガー・ラピッツというユーコン最大の瀬よりも危険だといった。この湖は、風の通り道といわれている。ひとたび荒れだすと高い波が立ち、冷水にひっくり返ると取りつく場所もなく危ないというのだ。しかし、この日のラバージュは快晴で風もほとんどなかった。エメラルド・グリーンの巨大な湖面が太陽の光を力いっぱい弾き返している。
 ぼくらは店の男がいったとおり湖の右岸沿いを漕ぐことにした。湖畔に群生している水草の上を漕ぐと、船底に擦れてシュー、シューと音がする。ぼくは、クリークを見つけ、釣りをしに遡った。ルアー竿を取り出して、赤に白いストライプの入ったスプーンを二、三回投げるとあたりがきた。根掛りしたようにずっしりと重い。はじめは底に潜り込んで抵抗したが、しばらくするとだらしなく引き寄せられてきた。あげてみると七五センチのノーザン・パイクだった。
 頭の上が平たいこの魚は、上から見ると大きな口が四角くニンマリと笑ったような鰐面をしている。こいつは鋭い歯を持っていて、一度食らった獲物は二度と逃がさない。鉤をはずそうとする人間の指を切ることなど朝飯前だ。ぼくはデッキに括りつけていたフライ竿のケースでやつの頭を殴りつけた。二、三回叩いておとなしくなると、エラから口に紐を通して舟の横につけた。これで、今日のおかずには困らない。自分の食い物を自分で仕留める。ぼくの中で退化しかけていた狩猟の本能が刺激され、満たされていくのを感じる。なんとも豊かな気分だ。
 湖に戻り、岸沿いに漕ぐ。釣りをしたり、インディアンのゴーストタウンを見たりしていると、いつのまにか湖面が風でうねりだしていた。スプレー・スカート(舟に水が入るのを防ぐカバー)をしていなかったぼくの舟には、デッキの上にかぶった水がどんどん入ってきた。たまりかねて、狭い岸に上がり、今日はそこでキャンプをすることにした。そこは、玉砂利の浜辺になっていて、後ろのブッシュにはキャンパス地のテントに使うフレームだけが黒焦げになって残っていた。火事でも起こしたのだろうか。流木はそこら中にあったので、すぐに大きな火を起こし、ブツギリにしたパイクをステーキにしたり、醤油味のスープに入れて食べる。特に、冷たい風の中で食べるスープは体が暖まってうまかった。
 翌日。はりきって出発する。今日は一日中漕ぎつづけて、少しでも湖の流れだしに近づきたい。
 湖は大きな岩山に囲まれていた。岩盤の所々にこびりついた土砂の上には、根の浅いスプルースがしがみつくように生えている。丸くてつややかな岩と針のように尖った針葉樹の組み合わせが面白い。べた凪ぎの湖面には、その眺めがそっくりそのまま映っている。そして、こんなに大きな水の塊がこんなに静まりかえっているのが不思議でたまらなかった。そよ風ひとつで、この完璧な風景はいとも簡単に壊されてしまうのに。ぼくは腕の疲れを感じながらも、その不思議さに撞かれて漕ぐ手を止めることができなかった。
 そして、水。森。山。空。そこにあるあらゆるものが、いかにぼくが小さいかを自覚させる。それは大きなものを見るときだけではない。草。花。虫。普段は、人間よりも小さく「弱いもの」と無意識に認識していたものでさえ、この自然の中ではぼくらと変わらない小ささで存在していた。みんな同じ単位なのだ。
 そのナチュラル・ハイを止めたのは小便だった。しばらく岸で休んでから再び湖に出ると風が吹きはじめた。しかし、その風は追い風で、バランスさえ取っていればすいすい進んだ。ぼくらは、昼飯も食わずにウエハースを食べて腹をだまし、後ろから波にあおられながら垂直に切り立った岩山の下をひたすら漕いだ。
 さらに三時間ほど進み、小さな岬を回り込むときれいな砂利の浜が現れた。そこは背後に大きな断崖を持った小さな入り江になっていて、風の影に隠れて湖面は凪いでいた。西に傾いた太陽の光に目を細めながら、はらぺこで疲れ果てたぼくらは無言のままテントを張っていた。すると、背後の森から白人の大男が三人現れた。みんな髭や髪を伸ばし放題にしていて、頭にはバンダナを巻き、黒ずくめの服を着て頑強な体つきをしている。パドラーというより、アウトサイダーといった風だ。ぼくは少し緊張したが、奴らが口にしたドイツ訛りの英語は見かけからは想像もつかない内容だった。
 「いま、ぼくらがどこにいるのか教えてくれないか」
 自分のいる位置がわからないらしい。男は眉の内側を少し釣り上げて、ぼくに地図を見せた。ぼくは、それを見てあきれてしまった。それはユーコン川のガイドブックだったが、文庫本くらいの小さなもので、地図といえば川と陸を分ける一本の線と気休めにもならないポイント解説があるだけだった。これでは、ぼくでも自分がどこにいるのか見失ってしまうだろう。ぼくが持っている地図と照らし合わせて教えてやると、彼らはほっとしたようだった。彼らは、ラフト(ゴムボート)でドーソンまで下るという。
 「ぼくらは、この旅の計画を一年半も前から考えていたんだ。みんなこのために働いて金を作った」
 「そうか。じゃあ、夢がかなったってわけだな」
 「Yes. Dream came true」
 そういった青年の目は輝いていた。
 「Good Luck」
 そういい合って、自分のテントへ戻っていく彼らの肩は充実感に揺れていた。
 さて、こちらは腹ごしらえだ。火を起こし、米を炊いて缶詰のスープを温めて素早く平らげる。そして、ホワイトホースで購入した最後のビールを開け、喉に流しこむと今日一日の疲れは蒸発した。
 胃袋の皺をのばして一息つくと夕日が山裾にかかりはじめた。背後にそびえる山の岩肌がみるみるうちにオレンジ色に焼けてゆく。午後一一時になると太陽は完全に山の影に隠れてしまった。すると、夕日が沈んだ山の真上にある雲が黄金色に輝きだした。それは、もう雲ではなく輝く物体だった。オレンジ色の闇は、高度の低い雲から高い方へと色を映し、最後はローソクが消えるようにすぼんで暗くなった。ぼくは、銀色に鈍く光る湖をいつまでも眺めていた。感覚が放射状にどこまでも伸びていき、どこかへ飛んでいってしまいそうだ。鼻先をかすめる焚火の煙だけが、辛うじてぼくをそこに留まらせていた。
 明日には、再び川に出られるだろう。今日はよく漕いだ。入り江の中をビーバーが一匹、獲物を探して泳いでいた。ぼくは、テントにもぐり込むとすぐに眠ってしまった。
 翌朝、加山雄三と銀行強盗をする夢を見たという久人の話を聞きながら、火であぶった腐りかけのパンにマヨネーズをぬって食べる。この酸味のきいたマヨネーズがうまい。体がほしがっているのがよくわかる。昨日の強行軍がひびいたのか、起きたときは体がだるかったが、日が登るにつれ回復してきた。昼過ぎに出発。
 岸辺の眺めは、相変わらず、白い岩山に針のように尖ったスプルースが生えている景色がつづく。天気は、晴れたかと思うと雨が降り出したりして変わりやすかったが、風がないのがありがたい。三時間ほど漕ぐと、ついに川の流れ出しが見えてきた。これで三日かかった全長五〇キロのレイク・ラバージュ越えがやっと終わる。石橋が「おれ、こんなにまじめに漕いだことないよ」と笑った。まったくだ。
 流れ出しは、湖の大きさからは考えられないほど小さかった。舟は巨大な湖から吐き出される流れに吸い込まれ、ぼくはパドルを漕ぐ手を止めた。そして、後ろを振り返って叫んだ。
 「あああばよ!ラバージュ!」
 幅五〇メートルほどの流れは、魂を取り戻したかのように時速一五キロを越えるスピードで疾走しはじめた。無造作に陳列された両岸の森が後方に飛んでゆく感覚は、ほんの三日前まで当たり前だったのに、いまは新鮮でさえある。それは、川を進むというより森を飛ぶ感覚にちかかった。
 流れ出しから2ベンド(ふた曲がり)下った崖下のエディー(巻き返しの流れ)でグレーリングが飛び跳ねているのを見つけ、舟を岸につける。このグレーリングは鮭や鱒の仲間で、巨大な背鰭を持っているという特異な個性を持ち、日本ではカワヒメマスとよばれている。そして、自他ともに鱒フェチを認めるぼくは、舟から降りるときに興奮のあまり履いていた長靴の中を水で濡らせてしまった。しかし、そんなことにはめげずにルアー竿を取り出し、澄んだ水の中へ小さなスピナーを投げる。すると、尺オーバーのグレーリングがスピナーを追って来た。ところが、手元まで来るとヒョイとそっぽを向いてしまう。その上、釣りはまったくの初心者である石橋が、先に型のいいやつを一匹釣り上げたので更に慌てるという始末。自分でも情けないと思うが、焦る気持ちはどうにもならない。それでも、なんとか三五センチのグレーリングを一匹釣り上げて安心した。この鮭族の小刻みで切れのいい引きがたまらない。石橋が久人の分も釣り、エラから口にヒモを通して舟の横に括りつけた。自分で獲った食料を携える心地よさ。これが豊かな土地の証なのだ。水に濡れて臭くなったぼくの左足も上機嫌だ。
 ラバージュ越えを果たし、川の恵みも得たぼくらは、もう漕ぎつづける理由はなかった。キャンプ地を探すことにした。
 ぼくは、今回、五〇万分の一の地形図とは別にこちらではポピュラーなリバー・ノース・パブリケーションズから出ているマイク・ロウク著の「ユーコン・リバー」という川地図を使っている。これには川の白地図に崖の形状や名前、キャンプ設備の場所などが細かく書き込まれているのだ。ぼくとしては、川だけでなく、周辺の山や支流の情報も欲しいのだが、たしかに便利ではある。ぼくらは、この川地図にGood Campと書かれている小さな島へ行くことにした。ところが、そこにはドイツ人カップルの先客がいて、ぶっきらぼうに「他を探せ」といわれてしまった。腹の虫に触ったが、覗いてみると確かにテントの張れるスペースはなかった。仕方なく流される。
 押し迫っていた辺りの山が少しずつ遠のき、川の上には谷間特有の冷たく澄んだ空気が流れていた。そして、ぼくは彼女に出会ったのだ。
 彼女は、川辺にふわりと生い茂った水草のカーペットに横たわり、うつろにくつろいでいた。その姿はソファーに座った無垢の女王のようで、大きな顔の下でモグモグと緩慢に口を動かし、耳だけをピンとこちらに向けている。その存在は、そこから見える森、その向こうに広がる全ての大地を象徴していた。彼女は神秘的でさえあり、絶対的ではかなく、過酷で豊かだった。
 世界最大の鹿、ムース!
 流れの速い川は、あっという間にぼくらを彼女から引き離してしまったが、その圧倒的な存在感はいつまでもぼくの心に焼きついた。
 午後八時過ぎ、右岸から流れ込んでいるクリークの横に大きなテーブルが置かれたキャンプサイトを見つけ、上陸した。ユーコン上流では、カナダ政府がつくったキャンプ設備が充実している。それは確かに人工的なものではあるが、日本のそれとは違い、テーブルやファイヤープレイスといった必要最小限のものに押さえられていてあつかましさがない。
 チチチチッ
 ハラペコの三人は、赤リスが縄張り争いをしているスプルースの木の下で火を起こし、三匹のグレーリングをアルミホイールで包んで焼いた。石橋が聞いてきた。
 「胴の長いリスをよく見かけるんだけど、あれはなんていう名前なんだ?」
 「石橋リス」
 くだらなすぎて、みんな笑った。
 魚は醤油だけで食べた。グレーリングは、パイクよりも味が濃く、清流の香りがした。
 腹を満たすと、ぼくらはカナディアン・クラブ・ウイスキー(C.C)を開けた。そして、酔った久人は、生木から白い煙を出して燃える火を見詰めながら、もったりと自分のことを話し出した。
 彼は、昔からの幼馴染と地元の会津で民宿をやりたいという夢を持っていた。六本木の北欧料理店でコックをしていた彼が料理を作り、釣りの得意な友人がガイドをするといった形で立ち上げたいらしい。しかし、自分にはそれをやる自信がないという。
 自信。そんなものは、目標に向かって突き進んでいるうちに自然とついてくるものだ。大切なのは動くことだ。そして、あきらめないこと。そうすれば何かが見えてくる。何かがはっきりしてくるはずだ。ひとは、夢だけでは生きてゆけないといって「夢だけ」を投げてしまいがちだ。しかし、夢を持たない人生なんて耐えられるか!目をつぶって生きられるか?それがいやならやるしかないんだ。
 久人は、火を見詰め、ぼくらが眠る頃になってもなにかを考え込んでいた。
 そして、その夜が来た。
 ぼくは、夢の中、何かが凄い勢いで水の中を突進してくる音を聞いた。そして、そのすぐ後、隣のテントから聞こえてくるふたりの話し声で目が覚めた。ぼくは、その会話からあるフレーズを聞き取った。
 「ク、クマが出たんです…」
 その声は久人だった。動揺しているらしく、声は不安定に震え、言葉の間にうめき声がもれている。
 テントを出て久人の顔を見ると、顔面が真っ赤で目の周りは水を吸ったスポンジのように腫れ上がっていた。彼は、何かの痛みをこらえるように顔をしかめながら、起こったことを話しだした。
 石橋とぼくがテントに入った後、久人はひとりで焚火にあたりながらC.Cを飲んでいた。それは、午前二時半ごろで、白夜とはいえ全ての輪郭がぼやけて見えるほど辺りは薄暗くなっていた。そして、突然背後に何かの気配を感じ、振り向くと五メートルも離れていないところにキャンピング・テーブルくらいの大きなグリズリーがいたというのだ。彼はありったけの大声で怒鳴った。するとグリズリーはクリークを渡って向こう岸に逃げた。しかし、奴は場所をかえて、再びクリークを渡ってこちらに向かってきたという。その水音をぼくは聞いたのだろう。久人はベア・スプレーを取り出し、安全ピンを抜いてグリズリーに標準を合わせた。自分のテントに逃げ込もうと後ずさりする。そして、テントの中へ入ろうとスプレーを床に置き、手をついた拍子に誤ってスプレーを噴かせてしまったという。運よくグリズリーは逃げてくれたが、久人は顔面にベア・スプレーを浴びてしまったのだ。このスプレーは強力なマスタードで出来ていて、これをかぶるとぴりぴりと神経が痺れて皮膚は腫れ上がってしまう。久人は、腕が痺れ、咳き込んで苦しがった。心臓の弱い人がこれを浴びたら死ぬかもしれない。それほど強烈なやつなのだ。
 しかし、なにより久人は気が動転して普通じゃなかった。咳き込みながら、同じことを何度もくり返し説明するばかりだ。石橋が「とりあえずオレのテントで休めよ」といった。そして、石橋とぼくは、久人が正気を取り戻すまでクマの番をすることになった。
 辺りは、まだ暗かった。心理的に人間を恐がらせるには充分な暗さだった。ぼくは、考えた。ここに着いたときは、すっかり気に入り連泊しようとさえ思っていたが、事態は一変した。一刻も早くここを出た方がいい。何度考えてもそう思えた。しかし、いま、久人は動ける状態ではない。ぼくらは、二、三時間たって辺りが明るくなるのを待つしかなかった。
 石橋とぼくは、テーブルに座ってお茶を沸かし、何でもない話をして気を紛らわそうとした。しかし、闇はぼくに幻覚を見せはじめる。恐怖心があらゆるものをグリズリーに仕立て上げてしまう。川辺にある大きな黒い塊はこちらのようすを伺うはらぺこのクマに見えたし、それを疑視すればするほどゆっくりとこちらに動いてくるように思えた。
 そんなときだった。グリズリーが逃げていった下流のブッシュから枝を折って突き進んでくる大型動物の足音が聞こえてきた。その音は、機械的に等間隔で聞こえ、音自体に意思があるかのように耳の中で膨張し想像を掻きたてた。
 クマだ!クマだ!クマだ!
 自分の中でその言葉を反芻するうちに、ぼくの体は緊張で硬直していく。石橋もぼくも下草の生い茂った水辺に立ち、本当に効くとも分からないスプレーを音のするブッシュに向けて構えた。
 すると、水辺に生える木立が激しく揺れ、左右に大きく割れた。
 巨大な黒い影が飛び出す。
 畜生!来た!
 スプレーのボタンを握る。
 …
 次の瞬間、ぼくはひどい脱力感に襲われた。
 それは、ムースだった。
 彼女は、ウムー、ウンムーと間抜けな声で鳴きながらこちらを気にするようすもなく、草を食べ、ゆっくりと川づたいに上流へ歩き去った。
 「なんだよ!」
 予想外のムースが現れ、ぼくは少し腹が立ったが、それでよかったのだ。緊張がとれると急に笑いがこみ上げてきた。自分の慌てぶりがおかしくてたまらなかった。
 やがて日が昇り、早朝の青い空気が山の稜線を割って射した太陽の光に溶けていく。結局、クマは現れなかった。石橋とぼくはすっかり眠くなってしまい、さっさとここを離れて適当なところを見つけ、寝てしまいたかった。しかし、目を覚ました久人の動きはまだ緩慢で、川に出るころには日もかなり高くなっていた。
 カヤックに乗り込むとき、2ピースのパドルが真中から折れてしまった。それは、長年使ってきた愛用のパドルだった。こういうとき、人は不吉を感じたりするが、ぼくにはここでかぶるはずだった災難の代償に思えた。久人が起きていてくれたから助かったのかもしれない。クマから一番近いところで寝ていたのはぼくなのだ。ぼくは、予備のパドルを取り出して出発した。
 流れに乗ると、谷は次第に開けていった。空には長大な筋雲が何層にも重なり、宇宙の色を薄めて空色に直している。ようやく地上に届いた光は、それでも北の森を輝かせ、そこら中に満ち溢れてぼくの目を細めさせた。この光景を見られるということは、まったくの幸運だった。しかし、ぼくは、その眺めを見るよりもまぶたを閉じることに専念したかった。起きているのがやっとだ。
 それでも、勾配のついた川はぼくらをキチンと下流に運んだ。三時間流された後、ぼくらは白樺の林に上がり、テントを張って五、六時間ぐっすり眠った。こんな日は、今日だけで充分だ。
 翌日の昼、久人が先に出発した。カヤックの漕ぎ方にも自信がつき、そろそろひとりになりたい頃だろう。楽しんでほしい。
 一時間遅れて、石橋とぼくも川の上に出た。今日は漕ぎまくることにした。ホワイトホースを出てからすでに六日たっていたが一三〇キロ足らずしか下っていない。食料は九日分しか持っておらず、次の町カーマックスまではまだ二二〇キロの行程が残っている。しかし、ぼくは焦ってはいなかった。川は、怒涛のように流れていた。川は下流に流れるというあたりまえの定義を知っていても、その速さ、量、力は不思議なほど速く、多く、強かった。その上を軽く漕げば、ぼくの乗った小さな舟は、いとも簡単にスイスイと進む。この速さがある限り、カーマックスは遠くないと思えた。
 やがて支流テスリン川が合流した。水がウグイス色に変わった。ここで、ユーコンの幅は二、三〇〇メートルに広がる。合流点のすぐ下にはフータリンクアというキャンプ場があった。ここには無人の小さなキャビンがあり、その壁や柱には川を下った者の名前がぎっしり書き込まれていた。日本人のものもたくさんある。へたな日本の川よりたくさんの人が下っているのではないだろうか。
 川に戻ると雨が降り出した。辺りの景色が無数のしずくに霞む。暑くてデッキの上に縛りつけておいたフリースのジャケットが濡れてしまった。しかし、ぼくの舟は荷物をめいいっぱいつめ込んでいるので、しまうのが面倒くさい。結局、放っておくことにした。
 クロンダイク・ヒルを通り過ぎたところで三頭の若いムースを見かけた。彼らは、どんどん近づいてくるぼくたちに気づくと、一目散に森の中へ逃げ出した。どんなに樹木が生い茂っていようがお構いなしに突進してゆく。まるで、そこにはなにもないかのように。その姿を見ていて思った。ここは彼らの土地なんだ。
 流れは相変わらず速いので、漕ぐのを止めてルアーを投げながら下ることにした。ねらいはグレーリングだ。しかし、ぼくらは、岸沿いの茂みの下を狙ってスピナーを投げたが、全く釣れなかった。その上、ルアーを倒木に引っ掛けてしまい、早い流れに押されてラインもろとも全部なくしてしまった。ぼくは、予備のラインを持っていない。これからカーマックスまでルアー釣りができないと思うと悔しくて仕方がない。フライはあるが、舟の上では、バックスペースがいるフライよりもスナップだけで投げられるルアーの方が便利なのだ。ここでの釣りは、単なる娯楽ではなく、大切な狩猟手段でもある。
 意気消沈しながらも、川はぼくらを六〇キロ流してビック・サーモン・リバーに辿り着かせた。ここは、一〇〇年前のゴールド・ラッシュには人が住んでいたが、今は壊れかけたキャビンが七棟残っているだけのゴースト・タウンだった。村の中央にある小さな広場には地面のあちこちに穴が開いていて、たくさんの北極地リスが這いずり回っていた。体長二〇センチくらいで茶色い体をしている。ここへ来たパドラーたちが餌をやっているのだろう。彼らは人間を恐れるようすもなく、ぼくの足に乗るほど愛嬌がある。ぼくは、穴を塞がないようにテントを張った。雨はあがっていた。
 村の裏手は山火事の跡が広がり、ヤマアラシの針のように黒く焦げた立ち木の間にはファイヤーウィード(蘭の一種)が一面に咲いていた。紫色をしたこの花は、きまって山火事の跡に咲くという。そこから薪を拾い、火を起こして、久人からもらったニンジンを刻み、オイル・サーディンと一緒に醤油で炒めてご飯にぶっかけた。見た目は猫飯のようだが、これが純和風の味がしてうまい。そして、なにより簡単なのだ。
 食後は久しぶりにギターを弾く。キーをオープンGにして、ブルージーな雰囲気に浸ろうと思うのだが、なかなかうまくいかない。ぼくはでたらめに雑音をかき鳴らした。石橋は無視。クマよけくらいにしか思っていないようだ。
 雨上がりのせいか、夜半近くなると肌寒くなってきた。そして、霧も降りはじめたころだった。突然、後ろの茂みから赤いマウンテン・パーカーを着た男が現れた。ぼくは、辺りには人がいないと思い込んでいたので驚いてしまったが、石橋は、「おー!」といって立ちあがった。その男は光年という日本人で、石橋はホワイトホースで彼と会っていた。光年はここでユーコン川に合流している村と同じ名前のビック・サーモン・リバーを下ってきたという。上流で知り合ったスイス人ふたりと村の少し下流でキャンプしていた。日中、村の中は、他のグループでいっぱいだったらしい。どうりで火種が残っていると思った。ルアーに巻くラインを分けてくれるというので彼のテントへ行くことにした。
 暗くなりはじめたブッシュを潜っていくと、木立の間にテントを張り、薪を割っている四〇半ばの頑強な男と、ヨーロッパの伝統がつくりだす独特な内向性を漂わせた二〇くらいの若者がテントから出てきた。薪の男はエルマ、若者はルーカスといい、ルーカスはほとんど英語が分からなかった。どういう訳か、ぼく以外はみんなメガネをかけている。
 エルマはビック・サーモンがお気に入りで、今回は二度目らしい。彼はぼくに二〇ポンド用の極太ラインを分けてくれた。そして、お茶をカップに注ぎながら「何かがたりないなあ…」と呟いた。「女のこだろ?」というとみんな笑った。たしかにこの暗がりには五人の焚火臭い男どもしかいなかった。そして、陽気だった。スイスのふたりはグレンミラーの曲やピンクパンサーのテーマを口ずさんでは奇声をあげ、紺碧の闇に響くこだまを楽しんだ。風のない川面に焚火の煙が沈殿して層をつくっている。ぼくらは、眠くなるまで話しつづけた。
 翌朝、テントのジッパーを開けると前室にあった小さな穴から顔を出している地リスと目があった。「おはよう」というと、彼は少し頭をかがめてフライ・シートの隙間から外に出ていった。昨日テントを張ったときはその穴に気がつかなかった。悪いことをした。
 朝食をとり、ギターを弾いているとエルマたちが出発の用意を済ませて川を遡ってきた。昨日の晩、一緒に下ろうといわれていたのだ。ぼくらはいつ出るか分からないから先に行ってくれといったのだが、彼らは「大丈夫。ぼくらものんびりしているから急ぐことはない」と譲らなかった。しかし、今日になってみると彼らは押しかけて「まだか」という雰囲気を漂わせながらぼくらにプレッシャーをかける。石橋とぼくは昼をとってから出発しようとしていたのだが、結局、昼抜きで出るはめになった。
 出発前に、ビック・サーモンは川を下ってきた人々でいっぱいになった。二〇人近くはいただろう。この小さな廃村にカラフルなアウターを着た人たちが群がっているのは異様でさえある。ぼくらは逃げ出した。
 空は、どんよりと重たい雨雲が垂れ下がり、時折、冷たい雨を降らせた。そして、ぼくは不思議なことに気づいた。雨のしずくが、川面に落ちた拍子に朝顔の種ほどの小さな銀色の水玉をつくって、水の上をさらっと一メートルくらい走って消えるのだ。水の上を水が走るのが不思議でしかたがない。しかし、一面に走る銀玉の乱舞は美しかった。
 それと香りだ。湿った森の斜面からは、鼻の奥でほのかに甘い香りを残す微風が漂ってきた。それは、どんなに高級な香水でも俗的で下品に思わせてしまうほど素朴で上品な森の香りだった。この香りは、なぜか雨が降るかして森がしっとりと濡れているときにかぎって匂っていた気がする。その森の分泌物はぼくをリラックスさせた。こんな雨なら悪くない。
 しかし、川は、ぼくらを痛めつけることも決して忘れなかった。水面を蹴飛ばして歪ませ、矢のようにぼくの体を突き刺す突風だ。風は、舟ごと上流へ押し戻そうと躍起になった。絶えず身構えていないと横転してしまいそうになる。ユーコンは、ぼくらに飴と鞭を与える。
 夕方、リトル・サーモン・リバーの流れ込みにさしかかるころには、みんなハラペコだった。釣りをしてみたが、釣果はグレーリング一匹だけ。疲れ果てて、すぐ下にある村に上がる。村の小さな河原には大きな筏がつながれていた。上陸用に使うのか、筏の横にはオールドタウンのカヌーも二杯つながれている。その先客はドイツから来た連中だった。テスリンから入ってカーマックスの下流にあるミントまで行くという。これだけ大きな川だったら筏で下るのも面白いだろう。ここも廃村で、朽ち果てたキャビンが二軒あるだけだった。キャビンの前にテントを張って、各自夕食をつくる。ぼくは、さっき釣ったグレーリングをお吸い物にした。塩胡椒に醤油をたらしただけなのに、深いコクが出て唸るようなうまさだ。それと、ツナの缶詰で飯を食う。
 食後はC.Cをやりながら光年と話し込んだ。彼はカナダに語学留学に来ていた。いまは夏休みらしい。なかなかカナダ人の友達ができないという。語学留学では、クラスメイトも国外の人ばかりなので、意外と現地の人たちとの接点が少ないのだ。ぼくも、昔、ニュージーランドへワーキングホリディで行き、最初の二ヶ月間語学学校に通ったが、そのときよりやめた後で旅先や仕事をしていたときの方が友人はたくさん作れたような気がする。だから、光年にもバイトをすることを勧めた。ぼくは、光年に留学をしてなにをしたいのかと聞いてみた。すると「いろんなことをやってみたい」という抽象的な答えが返ってきた。上流で一緒だった久人と光年は同じ年だったが、民宿をやりたいという具体的なゴールを持っている久人より光年の方が一般的だろう。二二のころのぼくも光年と同じ考えだった。高校を卒業して社会に揉まれてきた久人の方が早熟なのは頷ける。また、その年で自分のしたいことが分かっているのはたいしたものだ。
 その夜はひどい霧が降った。
 翌朝、太陽光線を撒き散らす川面を筏の連中が出発し、エルマ、ルーカス、光年がそれにつづいた。彼らとぼくたちは下るスピードがあまりにも違っていた。カーマックスまであと五五キロ。彼らは今日中にカーマックスに着いて冷たいビールにありつきたかったらしい。しかし、それにはまじめに漕ぐという大きな条件がついている。石橋とぼくは、それより時間を楽しむ方をとった。そして、そうするにふさわしい快晴だった。全てが光と青に通じる世界。冷たいビールにも劣らない爽快感が体の中からあふれ出るのを感じる。ぼくらは、漕がずに二時間だけ流されて気に入った河原に上がってしまった。だらだらと飯をつくり、食べてしまうと残り少ない酒をちびちび飲みながら本を読み、日の暮れていく森を眺める。こんな日があってもいい。
 ホワイトホースを出て一〇日目。川辺に並んでいる黄緑色の潅木と深緑色のスプルースのコントラストを眺めながら下っていると、次第に低空を飛ぶ飛行機の姿が見られるようになった。カーマックスが近いのだ。石橋は「一〇日も下れば飽きると思ってたけどそうでもないな」といった。彼は、カーマックスで切り上げることになっている。
 やがて、川面の遥か上にハイウェイが現れ、ヘリポートを過ぎると橋が見えてきた。そのたもとがカーマックスのキャンプ場だ。コンクリートのスロープを避けて泥の岸に上がると光年が迎えに出てきた。
 ぼくらは、テントに荷物を全部放り込むとバーへ行き、ビール二本で酔っ払い、ステーキをたらふく食った。
 やっぱ、ビールもうまい!

ykn018.jpg カーマックスの町は、ハイウエイを走る車が巻き上げる粉塵と川底から流れを湧かすユーコン川に挟まれてちぢこまっていた。バーが一軒、ストアーはエッソのスタンドが兼営している。あとはピックアップ、暇なインフォメーション・センター、手入れの行届いたクリニックの芝生があるだけだった。インディアン居住区は川向こうで、彼らに会いたければバーに行くのが手っ取り早い。
 夜が明けて、日が高くなると石橋とぼくは暑い日射しを避けてバーへ逃げ込んだ。バーはハイウェイ脇のサンセット・モーテルにあった。中は暗く、ちょっと肉づきのいいインディアンの娘が掃除をしていた。カウンターの上にひっくり返して置いてある椅子を降ろして座る。ここのオヤジは、小太りで目が細く口髭を蓄えた白人で、ぼくが思い描いていたとおりのアメリカ大陸のマスターだった。でかいスピーカーから少量で聞こえてくるシェリルクローの少ししゃがれた歌声がその場にしっくりと馴染んでいる。
 カウンターでカナディアンを一本開け、もう一本飲みながらプールでナインボールを打つことにした。軽く酔ったぼくは、九つのうち二つしか落とせなかった。あとはきれいに石橋が落とした。酔っ払いのインディアンがふたりからんできたので店を出る。ひとりはかみさんと喧嘩したらしく、ぼろくそにいっていた。酔いどれるのは男のほうか…。
 次の町ドーソン・シティーまでの食料を買い、キャンプ場へ戻っても白夜のユーコンはまだ暑かったので、近くにあるコール・マイン・レイクへ泳ぎに行くことにした。歩きはじめてからベア・スプレーを持ってくるのを忘れたのに気づいたが、面倒なので、そのまま行くことにする。川沿いにあるトラックを三〇分ほど行くと、マリンブルーに澄みきった周囲五、六キロの小さな湖が見えてきた。湖畔は白い砂浜になっていて、人影はなく、泳ぐには都合がいい。
 ぼくは、素っ裸になると大声をあげて湖に飛び込んだ。ほてった体は、冷水であっという間に冷やされ、吐く息だけが熱を残した。仰向けに浮いて空を見上げ、青空に映えて白より白く見える雲を眺めていると、ぼくの感覚は視界を越えて全体へ広がってゆく。ぼくは、このまま水の中を悠々とパイクのように泳げる気さえした。
 学生のころ水泳をやっていた石橋は、得意だったバタフライをやりだしたが腕が上がらずフォームはひどいものだった。しかし、彼はなにより楽しんでいたし、それだけで最高の泳ぎだった。ぼくは、頭と体を洗っていままでの垢と疲れを削ぎ落とした。湖水にさらされた体はサラサラになり、かぶったTシャツがフワフワと肌を滑るのが心地いい。それは、小さい頃、学校のプールから上がったときと同じ感覚だった。
 キャンプ場に帰る途中、女性ふたりとすれ違った。もう少し湖にいれば彼女らと裸で泳げるはずだったが、石橋もぼくも「ちょっとご免だ」と少し笑うしかなかった。
 その日の夜、北海道から来た良平と角田という日本人と一緒にベーコンとパスタを持ち寄ってビールを飲みあかした。彼らはアラスカのサークルまで下るらしい。ふたりは専門学校で環境保護を専攻していたときの同級生らしく、仕事を辞めて憧れのユーコンに来たという。キャンプ場は、夜半になると酔っ払いの溜まり場になり盗難が多くなる。ぼくは酔いながらも荷物を全部テントに放り込んでから眠った。
 カーマックスに来て三日目、今日は出発だ。ハムエッグ・サンドを食べてテントを畳み、バーに酒を買いに行く。石橋が餞別に一〇ドルくれた。昼過ぎの開店したばかりのバーに入ると、もう白人がひとり飲みにきていた。
 「川を下ってんのか?」
 「ああ」
 「どっから?」
 「ホワイトホースからだよ」
 「動物は見たか?」
 「ムース四頭、それにグリズリーがテントに現れた」
 「グリズリー!」
 酔っ払いはその言葉を待っていたとばかりに話し出した。
 「今年はクマがあちこちで人を襲ってるぞ。ドーソンの病院だけで八〇人の患者が担ぎこまれてる。気をつけろ」
 酔っ払いのいう八〇という数字は嘘だろうが、今年はそんなにクマの事件が多いのだろうか。店番をしている女のこの表情を見ても、なんの反応もない。ビール一ダースとC.Cを一本買う。店を出るときにマスターとすれ違った。
 キャンプ場に戻り、クソ重い荷物をパッキングしているとひどいドイツ訛りの英語を話す背の低い老人が話しかけてきた。テスリン川を下ってきたという。彼は見たところ七〇を越えている。たいしたものだ。ぼくもその年で川をひとりで下れるだろうか。
 ところが、じいさんは妙なことをいいだした。
 「日本人だったらユーコンを下って、そのまま日本まで(カヤックで)行けるだろう。海に出れば、あとは半分もないはずだ。島伝いに漕げばいい」
 このじいさんは真剣にそういった。まったくイカれている。ぼくは、彼の話をさえぎって笑顔で固い握手をしてさっさと出ることにした。
 川に入ると右の長靴に水が入ってきた。よく見るとソールの少し上の部分に穴が開いていた。ブッシュを歩いているときに開けてしまったらしい。
 ぼくがパッキングをしている間、石橋は所在なげに周りをうろうろしていた。彼とはここで別れる。準備が終わって、ぼくは石橋にいった。
 「日本で会おう」
 「いろいろとありがとう。気をつけてな」
 「いや、こっちこそありがとう」
 八年もつきあっているのに、あらためて「いろいろとありがとう」などといわれると照れくさかった。見送る側は少し感傷的になりがちだ。去っていく友人の背中を見送るのはぼくも苦手だ。石橋もそうなのだろうか。流れに乗ると、小さな町はあっという間に通り過ぎてしまった。かなり下流に流されてから振り返ると、石橋の白いシャツが太陽に光って見えた。
 さあ、はじまりだ。自分の他に誰もいないと、意識が自己に集中する。ぼくは外界から集中「させられる」のではなく、ぼくが気になるものに集中「する」だけでいいのだ。いまのぼくには森の木の葉一枚にだって夢中になれるし、地球のために泣くことだってできる。それが自由だ。ぼくは大声で歓喜し、ビールのプルタブをいつもより大げさに開けた。
 この辺りの川幅は一、二〇〇メートルあり、森は白樺の割合が増え、ところどころにグランド・キャニオンのような赤い岩肌が稜線に目立つようになった。地質が変わったようだ。そして、二時間ほど下ると、舟が何かに吸い寄せられるような感覚に襲われた。小さなベンドを右に曲がると、前方に水が広く溜まり、さらに向こうから轟きの音が聞こえてきた。ユーコン川最大の瀬、ファイブ・フィンガー・ラピッツだ。地表に出た岩層が川幅を狭め、飛び石のように川を渡っている。流れは人間の指のように何本にも枝分かれして岩の間から落ちていた。ここは汽船時代からの難所だという。スプレー・スカート(舟の中に水が入らないようにするカバー)を履いて流れに揉まれる覚悟で漕ぐ。コースは、一番通りやすいと聞いている右のルートをとった。すると、多少大きな波はかぶったが、冷や汗をかくような思いもせずにすんなり瀬の下に出てしまった。少し拍子抜けしたが、何はともあれ難所を無事越えたのだ。よしとしよう。
 瀬の下にある島で釣りをしていると、カーマックスを後から出発した良平と角田が追いついてきた。瀬の下で流れ込んでいるクリークの脇で一緒にキャンプすることにした。ふたりはカーマックスでインディアンからムースの肉をもらっていた。それを分けてもらい、ステーキにして食べる。少し癖のある味だが美味い。そして、どういうわけか、ぼくらは遭難の話に夢中になった。特に強烈だったのは北大の雪崩れ遭難の話だった。
 日高の山でのこと、吹き溜まりでビバークしていた北大のパーティーが雪崩れに飲み込まれた。雪に埋もれた中、キャプテンが意識を取り戻し、雪を掘り起こしてゆくと次々と仲間の死体が出てくる。彼は二、三日はがんばったが、徐々に体力を消耗し、力尽きていく。薄れゆく意識の中で、みんなの命を守れなかったことを部員たちの両親へ謝罪する文章を書き残して死んでしまう。その日記がどこかの資料館に保管されているという。ぼくらがいるのは雪山ではないが、そういう話をするにはあまりにも臨場感が押し迫ってくる環境だった。三人ともそれを感じたのか、「もう、やめよう」といってテントに入った。雨が降りだし、風がテントを歪ませた。
 翌朝、雨は上がって雲の切れ間から高い青空が見えていた。朝食に卵焼きをつくり、ジャムをぬったパンに挟んで食べる。卵は町を出た直後にしかつくれないメニューだ。食事が終わるとジャガイモをアルミで包んで焚火に放り込んでおく。これが、舟の上での昼食になる。
 北海道のふたりは昼過ぎに出発した。ぼくは、ダラダラといつまでもパッキングをしていた。川下りは大好きなのだが、このパッキングだけは好きになれない。カヌーなら適当に積んでしまえるが、デッキがついていてスペースの限られるカヤックはそうもいかない。長旅になると、これが毎日延々とつづくのでいやになる。
 と、パッキングをしていたとき、突然後ろの森で大型動物がこちらに近づいてくる音が聞こえてきた。ぼくは、途端に慌てだした。大声をあげながら、残りの荷物を舟に押し込んで岸を蹴る。振りかえってみると、音は近づいていたが姿は見えなかった。あの音は一体なんだったのだろう。クマ?ムース?
 ホワイトホースを出て以来、比較的よい天候に見守られていたが、このごろ一日に何回か雨が降るようになってきた。そして、風だ。流れの速いユーコンの下流から吹き上がる風は、すりガラスのように川面を曇らせ、ボイル(川床から水が湧き上る水流)しているところだけ滑らかな面をつくる。点。線。光。影。それらは形を仕上げることもなく、混沌と生き物のように動き回る。そして、ぼくを上流に押し戻そうとした。こういうときは、漕ぐしかない。そして、決まってある唄を歌った。
 ♪よーいさのまかーしょー、えーんやこりゃまーかせー
  えーええんやあえーええー、えーええんやあえーとー
  よーいさのまかーしょー、えーんやこりゃまーかせー
  酒田さぁ、行くさぁけぇマメ出ろぉちゃあ、よいとぉこらさのぉせぇ…♪
 山形県の民謡「最上川舟唄」だ。この唄は最上川を下る船頭たちが歌っていた唄で、パドルで水をかくテンポにピタリと合う。体というものは、それにふさわしい調子を得ると最小限の力でその動作をやってのけてしまう。ぼくは、この唄を歌いながら舟を漕ぐと、辛い向かい風の中でも気持ちよく漕ぐことができる。下手なこぶしをまわしながら大声で歌った。
 右手からペリー・リバーが合流する頃には、流れはいくつもの島で分散され、一キロを越す川幅になっていた。そして、右岸は高い台地になり、二、三〇メートルはある一枚の断崖が二〇キロに渡って続いている。その断崖を眺めるように、対岸にフォート・セルカークがあった。ここはかつてインディアンの村だったが二〇世紀はじめに軍が入った。カーマックスのインフォメーション・センターにいた受付の女の子は、「建物は観光用に整備されているけど誰も住んでいないゴーストタウンよ」といっていた。通り過ぎようと思っていたが、川から見える整然とした古い建物を眺めていると、つい寄ってみようかと思えてきた。
 カナダの国旗が青空にひるがえるポールの下に舟をつけ、土手を上がると白い看板に「TAYLOR & DRURY LTD」と書かれたストアーの前に出た。村は、ここを中心に横一列にキャビンが並んでいた。建物は古かったが、どれもきれいに直されているか、修復中のものばかりだ。ただし、人影はなく、麦色の小さな道の脇にうずくまる村には生活の匂いがまったくない。ぼくは教会の前を通って小さなキャビン群の方へ行ってみた。すると、建物を見物している白人のカップルを見つけた。彼らはオレゴンから来て川を下っているという。女性の方は愛想がよかったが、男はぼくを冷たい目で見るだけでなにもしゃべらなかった。彼女は、村の下流側にキャンプ場があると教えてくれた。行ってみると管理人のおばさんがひとりいるだけで、キャンパーは誰もいなかった。静かで眺めもいいところなので泊ることにする。しかし、それはぼくの早とちりだった。テントを張り終わると、次から次へとカヌーやモーターボートが現れ、キャンプ場はたちまち騒がしくなった。
 ご飯と缶詰で簡単な夕食を済ませ、日記を書いていると隣のサイトに来た女性に夕食を誘われた。誘われるままにテーブルへ行くと、そこには大きなチキンの胸肉とトマトソースをかけたパスタが大きなプレートに盛られていた。向かいに座っている男が冷えたビールを一本くれて、ぼくに声をかけた女性がいった。
 「あなたカヤックで下ってるんでしょ?食料もそんなに積んでないはずよ。だから食べて」
 それは、申し分なくうまかった。おまけに彼らは明日の分もジップロックに入れてくれた。頭が上がらない。彼らは、ぼくを呼んでくれたナンシー、その彼氏のジョン、ナンシーの父親とシアトルから来た友人の四人組だった。シアトルから来た男は臨床検査医で、ぼくの指にできたアカギレを見つけると手当てをしてくれた。ナンシーとジョンはホワイトホースに住んでいて、毎年、川を下っているという。彼らは三日後からドーソン・シティーで開かれるミュージック・フェスティバルに合わせて川を下っていた。
 ナンシーは、なぜ、大勢の日本人が冬のイエローナイフへ行くのか知りたがった。ぼくが、日本の旅行会社がオーロラを見るツアーを組んでいるからだというと、彼女は「ああ。オーロラね。日本人はオーロラの下でエッチをすると赤ちゃんができるって信じてるんでしょ」といって笑った。それは知らなかった。まったく、おかしな話だ。
 ぼくらは、あたりが冷え込んでくるまで話し込んだ。そして、テントに入るときナンシーが夕日の上でささくれだつ雲を見て「天気が変わるわ」といった。あの雲が出ると雨が降るのだという。
 そして、翌朝、雨が降った。
 セルカークを出発するころ、雨は小降りになったが、雨雲を垂れ下げた空は下流から冷たい風を吹かせてきた。ぼくは、冷蔵庫のようにひんやりとした景色の中をゆっくり漕ぐ。フリースを抜けてくる風が、ぼくの漕ぐ手に力を入れさせる。漕ぎ進むにはおあつらえむきの朝だった。
 右手の断崖はフレークされる前のツナのようにブロック状になっていて、少しずつ台地のスプルースをけずり倒していた。その断崖が途切れる頃、太陽が現れた。気温が急激に上がる。日の光があるのとないのでは夏と冬ほどの違いがあるのだ。ぼくは、着ていたフリースを脱いで、後ろのデッキに縛り付けた。
 暖かくなればこっちのものだ。漕ぐのを止めて、舟を流れの芯に乗せ、ヘミングウェイの短編集を読む。今年は、彼が生誕して一〇〇年目にあたるらしい。文豪の文章は長い年月を経ても色あせるどころか、ぼくの脳みそを川の上からパリの雨降るホテル、アメリカの唐松林を流れる川、アフリカのサバンナへと飛ばせ、身震いするような臨場感を帯びて再現させた。ぼくもこんな文章を書きたい。ひとつしかない言葉。スピードのあるストーリー。ぼくは夢中だった。
 そして、我に返って辺りを見渡すと呆然とする。そこは、まぎれもなく原野の真っ只中なのだ。あたりの山は太陽を浴びて光り輝いていた。斜陽が山肌を透かして森の凹凸に光と影の絶妙なコントラストをつくりだしている。樺の森は影の中でさえ、その産毛のような細い幹を白く浮かせている。そして、この巨大な景色は不思議なくらい完全に黙り込んでいた。鳥、虫、流れの音さえも聞こえない。太陽から降り注ぐ光の音が聞こえてきそうな静けさだ。そして、川面には銀色に光る曲線がふわりと飛んでいた。それは、クモだった。尻から出した糸を風にのせて空を飛んでいるのだ。
 その日の夕方、アイサック・クリークの流れ込みで釣りをしていた北海道組の良平と角田を見つけた。角田が五〇センチのシーフィッシュを二匹釣り上げて得意になっている。それを見た良平がむきになって釣ろうとするがまったくかからないのがおかしい。ぼくもやってみたが全然釣れない。しばらくすると、コンという日本人が下ってきた。コンは、麦藁帽子をかぶって丸いメガネをかけ、短いあごひげを生やしていた。一見、小説家の夢枕獏さんを思い浮かばせる。彼はビッグ・サーモン・リバーから入ったという。しかし、日本人によく会う。
 ぼくらは、少し下流の小さな島に移動し、一緒にキャンプすることにした。角田が釣ったシーフィッシュをさばくと、身が鯛のようにきれいだったので刺身にして食べてみることにした。しかし、口に入れてみると歯ごたえがなくグニョグニョして美味いとはいえなかった。それに、煮ても焼いてもパイクやグレーリングの方が美味い。みんな「もういらねえ」というので、角田は少しいじけてしまった。
 酒を飲みながらコンと話す。彼は、今回ユーコンを下るのは三回目らしい。今年は、ドーソンでユーコンを止めてイヌビクへ行き、飛行機をチャーターしてポーキュパイン川を下るのだという。そして、そのパートナーを探していると言った。何故、三回もユーコンに来るのかと聞いてみると、「何故なんでしょう」と笑うだけだった。それだけいい川だということか。
 次の日、ぼくたちはバラバラに出発した。ぼくが島を出た途端に雨が降り出した。そして、どんどん激しさを増し、あたりを霞ませてしまった。風が吹き荒れ、漕ぐのを止めると上流に押し戻されるほどだ。こういうときは黙って漕ぐしかない。最上川舟唄を歌う余裕もなく、ぼくはひたすら漕いだ。
 景色は、完全に暴風雨の中に飲み込まれていた。それでも、じわりじわりと下っていくと白い霧の中から山や島や森が徐々に浮かび上がってくる。それは、まるで水墨画のようだった。ただ、違うところは、それが広大で激しく、現実で美しいことだった。白い闇から現れる景色は深い白から灰色、藍色、深緑と色を変える。墨絵が向こうから段階を踏んで現実の世界に押し出てくるようだ。ふと頭上を見ると、山の頂では霧雲が走り回っていた。稜線の間を駆け上る。下がる。渦を巻く。消える。めまぐるしい雲の躍動。
 そんな下で、ぼくはずぶ濡れだった。体が冷えないように黙って漕ぎつづける。それしかぼくにはできないのだ。しかし、心の中では、次々と断片的な言葉が湧き上っていた。
 荒ぶる自然
 ぼくを拒む
 ぼくはうらみ、ひれ伏す
 しかし、そんなことに意味はない
 彼はただ自分がしたいように
 いや、それすらない
 ただ、そこにあるだけなんだ
 ただ、存在しているだけ
 ぼくがここにいることなんか関係ない
 まったく、たいしたもんだ!
 雨が止むと、濡れた体は震えた。岸に上がった何杯ものカヌーを追い越す。その多さに驚く。みんなこの嵐を避けてテントに逃げ込んでいたのだ。
 そして、ぼくは再び彼女に出会った。小さな島の影に入るとお腹の大きなメスのムースが現れたのだ。
 彼女は、浅い水辺に入って顔を漬しながら水草を食べていた。むしっては、顔を水面から出してモグモグと食べる。それを何度も繰り返す。彼女は大地を食って生きていた。ぼくは「ダルマさんが転んだ」の要領で少しずつ彼女に近づいていった。すると、彼女は逃げようともせず、いつのまにかぼくは彼女に五メートルのところまで近づいていた。それは奇跡だった。ぼくはすっかり興奮して、カメラのシャッターを押しまくった。そうやって、彼女とぼくは三〇分以上も一緒の時間をすごしたのだ。
 彼女から離れると、再び雨が降り出した。一日中、暴風雨の中を漕いだぼくの体は冷え切って疲れ果てていた。すぐにでも島に上がってテントに逃げ込みたかったが、手頃な場所がない。震えながら、ひたすら下る。すると右岸に旗が立っているのを見つけた。上がってみると、そこは私営のキャンプ場らしく、きれいに草が刈られ、母屋の煙突からは暖かそうな藍色の煙が立ち昇っていた。そして、小さな東屋へいってみるとナンシーたちがコーヒーを飲んでいた。一杯もらって口にすると、体が芯から溶けるようにうまかった。もう動く気にはなれない。一泊五ドルとられるが泊ることにした。しばらくしてケベックから来たという男ひとり女三人のグループも加わった。彼らはぼくより英語の単語を知らず、説明しなければならないのが可笑しかった。
 ケベック組もドーソンのミュージック・フェスティバルへ行くという。男は、三人の女の子のうち、一番胸の大きな女の子といちゃついてばかりいた。しかし、その子もそのほかの子もいい子だった。四人に日本の国土の七割は森林だというと驚いていた。みんな、日本には森などないと思っているし、大きさはホンコンくらいしかないと思っていた。特に、東海岸にはそういう人が多いような気がする。彼らにとってアジアは遠い存在なのだ。
 翌日、最後にキャンプ場を出たのはぼくだった。最近、晴れていても寒い日がつづいている。本流と同じくらいの幅をもつホワイト・リバーが合流すると、ユーコンは白い泥の川に変わってしまった。パドルのブレードを水にさすと、その先さえ見えないほどだ。
 やがて、コンに追いついた。二人で水の澄んだクリークを遡って釣りをするが全く釣れない。魚影は皆無だった。もっと上流にいけば鱒でもいるのではないかと思えたが、流れが速くてそれ以上の遡行は無理だ。しかたがないので引き返そうとしたときだった。狭い谷の影から暗い雲が現れて雨を降らせたかと思うと、突然、雹に変わった。帽子をかぶり、レイン・ジャケットを着ていたが、デッキに当たった氷の粒が顔に跳ねあがって目を細めなければならないほど激しく降ってきた。あたりが、白く霞む。コンもぼくも悲鳴をあげるがどうしょうもない。しかし、雹はあっという間に通りすぎてしまった。再び太陽が出ると、濡れたデッキを照らして反射光をぼくの顔にまき散らした。本流に戻って振り返ると、青空の下に灰色の柱が立ち、ゆらゆらと揺れながらゆっくり上流の方へ動いている。雹が降った森は、太陽の日を浴びてつややかに光っていた。
 それから、コンとぼくは本流に流れ込んでいる支流を徹底的にまわって釣りをした。そして、ぼくはシーフィッシュをばらしただけで一匹も釣れず、コンは見事にパイクを二匹釣った。 
 しかし、その二匹を釣った頃には日が傾き、ふたりともはらぺこだった。ぼくらは、無数の島を物色しながらキャンプ地を探した。そして、やっと岸に上がる頃にはしゃべるのが億劫なほど疲れきっていた。空腹は、気持ちをイライラさせる。
 ぼくは、火を起こすとさっさと米を炊き、サーディンと玉ねぎを炒めて腹を膨らませた。コンは釣ったパイクをさばくのに時間がかかり、食べたのは大分後になってからだった。釣れなくてよかったと、負け惜しみともつかないことをチラリと思う。
 島の対岸にある森は山火事で燃えているらしく、数カ所から細い煙を上げていた。それが、夕暮れ時の凪いだ空気の中で流れる先を見つけられずに斜面を這って台地の森に沈殿している。丁度、その山裾に夕日が沈み、雲の多い空を茜色に焼いた。闇に沈んでいく中で、煙はいつまでも鈍く白く光っている。その山火事が作り出した真新しい夕景色は、ぼくをしばらくその場に立ち尽くさせた。
 翌朝、その山を見ると、煙は風に流されて白々しい景色に変わっていた。光と闇は、こんなにも物を実体とは無関係に美しくも醜くもしてしまうのか。
 カーマックスを出て八日目、下るにつれてモーターボートをよく見かけるようになった。五時間漕ぎつづけると、森の向こうにすり鉢状に崩れ落ちた崖が見えてきた。あれがドーソン・シティーの目印だ。川が右に大きく曲がると右岸に町が現れた。ミュージック・フェスティバルは昨日から始まっている。フェスティバルの音が聞こえてくると思っていたが、聞こえるのは町と対岸をつなぐフェリーの低く鈍いエンジン音と人口二〇〇〇人の人間がつくりだす微かな雑踏の音だけだった。
 ぼくは、はじめての町へ入るときにいだく軽い不安を感じながらキャンプ場のある町の対岸に向かった。

ykn022.jpg ぼくは、フェリー乗り場のすぐ横に上陸した。そこは、小さなボートランチになっていて、道路から緩い傾斜の砂利道が降りてきていた。カメラの入った防水バックを持って、辺りのようすを見に行く。
 道路にはフェリーに乗るために並ぶ車の行列が、角を曲がって見えなくなるところまでつづいていた。フェリーに乗るレーンは商用車用と一般車用に分かれていた。そして、一般車のレーンには夏のキャンパーに混じり小型車にギューギュー詰めになってビールを飲みながら歪んだ音で音楽を聴いている連中が目に入った。フェスティバルに行くのだろう。
 ぼくは、イヤな予感がしていた。若い奴らが集まる音楽祭だ。しかも、週末の祭りなのだ。ホテルより安いキャンプ場に泊る連中が多いのではないか。つまり、祭りの中日にきたぼくが泊るスペースなんてないのではないか。
 そう思いながら、道路に隣接したキャンプ場に入ってみた。すると、愛想のいい兄ちゃんが「泊りますか?」といいながら早速チケットを持ってきた。その笑顔はどこかうさん臭く、「ちょと見させてくれ」といって逃げる。見ると案の定、サイトはいっぱいでみんな斜面に張ったり藪の中に無理やり張ったりしている。これではキャンプ場に泊る意味がない。次に、道を挟んで向こう側にある政府運営のキャンプ場へ行く。こちらは、さっきのキャンプ場と違い、区画がキチンと整備され整然としていた。川沿いのサイトがひとつ開いていたので、番号を控えて受付の小屋に行くと、そこはもう予約済みで、フェスティバルの今日明日はどこも満杯だといわれた。予感が的中した。がっかりしているぼくに管理人の女性が「ホステルには行ってみた?あそこにもテントサイトがいくつかあるわよ」と教えてくれた。それは、最初にたずねたキャンプ場の上にあった。期待しないで行ってみると、丁度、北海道組の良平と角田がテントを張っているところだった。良平たちもついさっき着いたという。幸い彼らの隣が空いていたので、そこに泊ることにした。
 ふたりは昨日、イギリス人が経営するキャビンに無料で泊めさせてもらい、サウナまで入ったという。悔しいので「そんなに運を使っちゃあカジノでスルのが目に見えるな」といってやった。ドーソンには酒もカジノもある。しばらくして、ぼくと同じルートを通ってコンがホステルに流れてきた。これで日本人の掃溜めはいっぱいになった。
 そのホステルには道夫というあごひげをのばした日本人の居候がいた。町のレストランでバイトをしているのだという。
 夜になると、道夫の案内で町のバーにいくことになった。フェリーに乗って流れに逆らいながら川を渡ってみると、改めて流れの強さを思い知らされる。フェリーは、巧みに舵を操りながら速い流れをやり過ごして対岸にしがみついた。この町を出てしまえば、次の町はアラスカなのだ。国境なんて意味がないと思いながらも、島国で生まれ育ったぼくには、なにか漠然としながら次の国に入ってゆくという大きな距離感が感じられた。
 町の道はハイウェイと同様に未舗装で泥だらけだった。メイン・ストリートの建物はみなクロンダイク・ゴールドラッシュで沸いた開拓時代を彷彿とさせるウエスタン調の建物で統一されている。道が舗装されていないのも、ゴールドラッシュの面影を演出する小道具なのだろう。道夫は、酔っ払いがたむろするバーの入り口をいくつも通りすぎて、メイン・ストリートから一本外れたところにあるピンク色の古ぼけた建物に入った。入り口は小さな丸い屋根がついていて、そこには白い文字で「Pit」と書かれていた。みんなフェスティバルに出払っているだろうと思っていたのだが、中は、以外にもいっぱいで、人の囁き、怒鳴り、笑い、バンドが演奏する電子によって増幅されたギター、ドラム、ベース、歌声、そして、酒気で溢れかえっていた。
 ぼくらは、丸テーブルの置かれた入り口を抜けてカウンターを左に折れてプールのすぐ横にある席に座った。柱や渡しには、赤・青・黄・緑の電球が括られていて安っぽい光を点滅させている。道夫は「ここが、ドーソン、いや、ユーコンで一番古いバーなんだ」と大声でいった。そうしなければ聞き取れないほどうるさいのだ。ぼくらはピッチャーでビールを飲み、それが空くと時計回りで順番に勘定を払った。酔っ払ったインディアンが陽気にからんできたり、酔った道夫が隣の白人にからんだり、大きなジョニー・ウォーカーの幕の前で歌うバンドに聞き入ったり、拍手したり、歓声をあげたり、きれいだったりそうでなかったりする女の子を眺めたり、タバコの煙で黒い闇が白んだり、みんながみんな、酔っ払っていた。ぼくは、このバーが気に入った。そして、どんどん減っていくピッチャーを眺めながら、ぼくも酔っていった。ぼくらは、ピットを出るとミュージック・フェスティバルの会場へ行き、無銭で中に入ろうとして見つかったり、真夜中のコーヒー・ショップでインディアンやアイヌの話をした。雨が降りだし、テントに戻ったのは朝方の四時をまわっていた。
 次の日、目が覚めたのは昼過ぎだった。薄汚れた服を洗いに町にあるコイン・ランドリーに行く。そこは、旅をしている連中の溜まり場だった。大半の男たちはぼくよりもボロボロで汚い格好をしている。しかし、男たちの表情はシャープで生き生きとしていた。みんな何かを求め、あるいは何も求めずに這いずり回ること自体にとりつかれた顔をしている。ここは旅人の町なのだ。
 そして、コンとぼくは、洗濯物を乾燥機にかけている間、本屋にいくことにした。ホワイトホースで川の地図を揃えようとしたのだが、アラスカ側の一部が手に入らなかったので、川を下っている間に取り寄せてもらい、ドーソンの本屋に転送してもらうよう頼んでおいたのだ。コンも同じことを頼んでいたらしい。店員に確認するまでは、本当に届いているか怪しいもんだと疑っていたが、地図はちゃんと来ていた。
 ぼくは、あることが気になってしかたがなかった。それは、コンのポーキュパイン川をやる話だった。コンはここで一度カヌーを畳んで、イヌビクへ行き、そこから飛行機をチャーターして、ポーキュパインを下ることにしていた。その計画は、ぼくにも魅力的だった。今回、ユーコンに来るまでは、金の都合さえつけばアラスカでポーキュパインに流れ込むシーンジェック・リバーへ飛行機をチャーターして行きたいと思っていた。その川はブルックス山脈に水源を持つとびっきりの清流だ。しかし、予算の少ないぼくにはほとんど夢でしかない話だ。それでも、ポーキュパインならコンとチャーター料を割勘にすればいけるかもしれない。ポーキュパインといえば、それだけのために下りに来る価値のあるユーコン流域最大級の支流だ。最終目的地のビーバーは、ポーキュパインとユーコンの合流点よりも更に下流なので、それを変える必要もない。そして、彼もパートナーを探している。
 コンが広げているポーキュパインの地図を見ながらそう思った。しかし、ドーソン以下のユーコン本流を抜かしてしまうのもいやな気がした。まずは王道の本流一本を下りたいという気も確かにする。そんなとき、英語の苦手なコンがぼくにいった。
 「トモ。頼むからイヌビクの飛行機会社に電話してサミット・レイク(ポーキュパインの支流の水源地)までのチャーター料を聞いてくれない?」
 次の日、イヌビクの飛行機会社に電話してみると、サミット・レイクまでセスナが六〇九カナダドルだと分かった。ひとり頭約三〇〇ドル。それを聞いてぼくは決めた。ポーキュパインへ行こう。最初の計画通りにいかないのが旅の面白さだ。思いがけない展開にぼくは有頂天になった。ポーキュパインは、ユーコンより小さい川だ。これから北の川はサケの季節を迎える。ぼくは、流れ一杯に溢れかえって遡上するサケの群れを自分の手でしゃくりあげるようすを思い描いて、だらしなく笑った。コンもすんなりとぼくと行くことを認めてくれた。
 しかし、その後、別の問題がもちあがった。ドーソンからイヌビクまでの足が見つからないのだ。イヌビクは、サミット・レイクから一番近いチャーターサービスのある大きな町だった。この二つの町は、デンプスター・ハイウェイという七四〇キロの未舗装の道でつながれている。ところが、そこには路線バスもなく、レンタカーはハイシーズンのため一週間以上待たなければならなかった。しかも、乗り捨て料金は飛行機のチャーター料とほぼ同じ額だった。イヌビクから僻地ともいえるサミット・レイクまでは手はずがつくというのに、道でつながっているイヌビクへ行く方法がないなんて日本では考えられないことだ。しかし、どうなるものでもない。コンとぼくはもどかしさを隠せなかった。
 最後の手段としてヒッチがあったが、これにはふたりとも気が向かなかった。荷物が多すぎる。パッキングしてもカヤックのザック、キャンプ道具のザック、ギター、それに食料などの雑品も出るだろう。コンはザックだけでも三つになるらしい。これを乗せられる車は限られるし、なによりこの大荷物を背負って歩くのはご免だった。そうして思いついた妥協策が、ガス代を払うかわりにぼくらを乗せてもらうことだった。これには、コンも賛成した。ぼくは、早速、近くにあったバーに入って、ノートの切れ端に広告を書いた。
 「ガス代を払います!イヌビクまで連れてって!日本人ふたり、折り畳み式カヤック二艇、キャンプ用具など含む。ホステルでキャンプしています。コン&トモ」
 それを、町に二軒あるビジター・センター、政府運営のキャンプ場、ストアー、コイン・ランドリー、郵便局、人が集まる所へ手当たり次第に貼りつけた。
 その日の夕方、良平と角田が出発した。
 そして、翌日、ビジター・センターへ行って、もう一度レンタカーの空きを確認しようと町に出る準備をしていると、ダブルサスのついたマウンテンバイクに乗った日本人らしい男がぼくのところにやってきて英語で言った。
 「イヌビクへ行きたいの?」
 「ええ…」
 咄嗟のことで、ぼくには男がなにをいっているのか理解するのに時間がかかった。
 「あの、あのメッセージを見たんですか?」
 「ああ」
 「イヌビクまで乗せていってくれるんですか!?」
 「ええ。ガス代は出してくれるんでしょ?」
 「もちろん!」
 ぼくは、キッチンに座っているコンに叫んだ。
 「コーン!俺たちイヌビクへ行けるぞ!」
 コンもしばらく事情がつかめなかったようだが、こっちに歩み寄ってくるうちに分かったらしく、「ありがとうございます!」と叫びながら男の手を握り締めた。その男は、日本人で真人さんといった。後から坂道を奥さんのシェリーさんが自転車で登ってきた。彼女も少し日本語を話せるらしい。まさか日本人に拾われるとは思わなかった。明日の午前一一時にキャンプ場まで迎えに来てくれることになった。
 真人さん夫婦が帰った後、ぼくは「イヌビク!イヌビク!」といって辺りを走り回った。ぼくは、真人さんがここに来るまで、本当にポーキュパインに行けるとは思っていなかったような気がする。実際、これからビジター・センターへ行ってレンタカーが駄目で、今日中に誰も車の申し出がないようだったら、このまま本流を下ってしまおうかとも思っていたのだ。それが、いまはイヌビクへ行くための準備をしに町に出ようとしている。気のせいか、さっきまで沈んで重苦しく思えていた景色も明るく見える。人間、気の持ちようでこうも幸福になれるのだ。
 ぼくらは、町のビジター・センターへ行って広告を貼らせてもらった職員のおばさんに車が見つかったことを話した。すると、彼女は大喜びでドラム・ダンス(インディアンの伝統的なダンス)を踊ってくれた。
 そしてドーソン出発の日、真人さん夫婦は三〇分遅れてキャンプ場に現れた。真人さんの車は一九七九年製の茶色いシビーのピックアップで、荷台にキャラバンを積んでいた。重心が後ろにずれているらしく、車はウイリー気味だった。そんな実用本意のいい加減さや錆びて穴の開いたフェンダーが、ぼくにはとても大陸的に見えた。そして、さすがにスペースの大きいキャラバンは、ぼくらの巨大な荷物を全部載せてしまった。荷物でいっぱいになった部屋を見て、シェリーさんは信じられないという顔をしている。ぼくらは四人、運転席に横一列に並んで座った。正午過ぎ、道夫が見送る中、ぼくらはイヌビクに向けて出発した。
 真人さん夫妻は、シェリーさんがワーキング・ホリデーで信州に来ていたときに山岳ガイドをしていた真人さんに出会い、去年結婚したという。それから、シェリーさんの実家があるカルガリーに来て、いまはふたりでカナダやアラスカを回りながらキノコを獲って生計を立てている。真人さんは大阪の堺出身で、「こんなんでワタシの人生どないなってしまうんやろか」と笑い飛ばした。これだけ陽気なら大丈夫だろう。また、白人のシェリーさんが英語訛りの関西弁で「ホンマ?」とか「あんた!」と叫ぶのが可笑しくてたまらなかった。
 ダートの道は、町を出て北へ走り出した。ここからイヌビクまでは、途中にイーグル・プレインというサービスエリアのような中継地と小さな村がふたつあるだけだ。
 スプルースの原生林を割って上下にうねる道を三時間ほど行くと峠にさしかかった。この辺りは北緯が高いため、少し標高が上がるだけですぐに森林限界線を越えてしまう。道端にはファイヤーウィードが群生していて、U字型の谷底には残雪を湛えた湿原が広がっていた。いま、雪があるということは通年そこに残っているということだ。その湿原が広がる窪地の奥へ視線をうつすと、谷は険しい山々に囲まれ、剣のような頂きを最後に暗黒の積雲に消えていた。その明暗、寒暖をいっぺんに見せる風景は超現実的で美しかった。
 その峠を越えてダウンヒルに入ると、ツンドラの平原が広がり、きれいな小川がハイウェイのすぐ横に流れ始めた。そこは、見るからにチャー(北極イワナ)がいそうな流れだったのだが、みんなで「どこで釣ろうか」と考えているうちに他の川が合流して、水は赤く濁ってしまった。
 数時間走ると、再び峠に入った。二〇歳を越えたシビーは、エンジンを唸らせながら長く急な登り坂をゆっくり進んで行った。尾根の上に出る。そして、巨大な谷がぼくの目に飛び込んできた。ぼくらは感嘆の声あげる。谷底には激しく蛇行するピール・リバーが黒い密林を南北に分けて流れている。二〇キロを越す谷の向こうには、乾いた火山灰のように白い岩山が連なり、長大な壁を立ちあげている。足元に目を落とし、小さな石の欠片を見ても、それが目の前の景色とつながり、同じ地質のものとは到底思えない。小さな原子が集合して作り上げたとは思えないほどの大きさ。それは、地球という一個の惑星的単位の眺めだった。
 シビーは、柔らかいサスを伸縮させながらひたすら走った。そのスピード、高さ、広さはカヤックに乗っていたぼくには逆に新鮮だった。砂利を飛ばして走るタイヤの音。少しこもったカーステレオの音楽。時折、聞こえてくる真人さん夫婦の囁き。ひまわりの種をかじる歯の音。それらは、やがてエコーとなり、温かみを帯びてぼくを眠らせた。
 気がつくと、シビーはガス・ステーションと小さなモーテルがあるサービスエリアに入るところだった。そこは、ハイウェイのほぼ中間地点にあるイーグル・プレインだった。イーグル・プレインは尾根の上にあり、風が吹き、広い空にさらされていた。ガスを入れるためにシビーを給油口に止めて車を降りると、左後輪のタイヤがパンクしているのに気がついた。タイヤの表面に手を当てて一周させてみると、大きな穴が開いていて中の空気が勢いよく吹き出していた。この近くでパンクしたらしい。お金に余裕があるわけではない真人さんたちは落胆の色を隠せないでいる。しかし、どうしようもない。そのままドックに入って修理してもらうことにした。口髭を生やした修理工の兄さんは「こんなツンツルテンのタイヤじゃパンクして当たり前だよ。重すぎるんだ」といった。まったく、そのとおりだった。フロントに付けられていたスペアと交換する。新しく付けたタイヤに空気を入れようとすると、車体が重すぎてなかなかチューブに空気が入っていかなかった。ガス代の八〇ドルをぼくらが払い、修理代を真人さんが出した。
 今日は、ここにあるキャンプ場で泊ることになった。日が傾くと稜線上にあるイーグル・プレインは冷え込んだ。それは、山独特のあの冷気が飛び散るような寒さだった。シェリーさんがビールを飲みたいというので、モーテルの中にあるレストランに入る。ぼくらはまだ前の客のコップがかたづけられていない窓際のテーブルに座った。みんな揃ってサービス・メニューの「ポーク・ディナー」とビールを注文した。ポークは、美味くもまずくもなかったが、コンが食べた肉が半生で赤かった。太り気味でやけに落ちついているウエイトレスにクレームをつけると、コンのオーダー分がただになった。ああ、なんでぼくのプレートに半生がのってこなかったのだろ。ぼくは二七ドルをレジで払わされた。
 翌日は、日が高くなり暖かくなってから出発した。しばらくして、北緯六六度三三分を越えて北極圏に入った。見渡すかぎりのツンドラの大地が北極海に向かってゆるやかに下っていく。その上を北へ北へと伸びてゆく道を、シビーは、沈みきったサスでぼくらの体を揺さぶりながら、少しずつ少しずつ確実に進んで行った。
 昼過ぎには、フォート・マクファーソンの町に入り、冷蔵のピザを食べ、ぼくらはシゲリチェック(旧アークティック・レッド・リバー)にさしかかった。そこは、マッケンジー川が大デルタ地帯へ流れ込む寸前の町だ。ぼくらは、この川を渡るフェリーに乗った。
 泥の流れをかき乱して船が進む。ぼくは、二年前にこの川を下った。まさか、再びマッケンジーに来るとは思ってもいなかった。あの旅では、嵐に会い、舟が壊れ、たくさんの人に助けられ、もう駄目かと思ったこともあった。しかし、その思い出は、記憶から掘り起こすことはできるのだが、明らかに過去でしかなく、ぼんやりとガラス越しに輪郭だけを眺めているようだった。
 しかし、ある感触だけは、はっきりと心に残っていた。それは、生きているという実感だ。マッケンジーという巨大で厳しい原野の中で生きる人々のたくましさと純粋さ、素朴さ、したたかさを見た。そして、自分の無力さを思い知った。かぎりある中でみんな生きていること。その生命のあやうさを知ったとき、それと同時に、生きている手応えをこのマッケンジーではじめて実感した。そして、いまも「生きている」ことを感じるために、ぼくは旅をしているのだ。
 川の上流では山火事がおきていて、モクモクと白い煙が青空に上がり、イヌビクの方向にたなびいていた。
 対岸に着き、走りはじめると辺りが白く霞んできた。山火事によるホワイトアウトで飛行機が飛べなくなることはあるのだろうか、とボンヤリ考えている間に、イヌビクの入り口にさしかかり、靄はいつのまにか晴れていた。道端にはアザラシ、鯨などが描かれた看板が立っていて「ようこそイヌビクへ」とうたっている。その下には人口が出ていて三〇〇〇人を少し越した数字が書かれていた。
 午後七時過ぎ、小さな窪地を越えて町に入る。ビジター・センターでキャンプ場の場所を聞くと、町の向こう側だと教えられた。二年前に飲み明かしたバー、買い物をしていたストアー、グロッサリー、ファーマシー、みんななにも変わらず、透明度の高い北国独特の晴れた空気の中でたたずんでいた。誰も彼も二つずつ年をとったはずだった。しかし、それを実感させるのは、ストアーの陳列が変わっていることぐらいだ。
 ぼくは?ぼくは変わっただろうか?いや、変わっちゃいない。変わったのは周りだけだ。ん?どっちだろう。ぼくは前に進んでいるのか?後ずさりしているのか?ぼくは探っているのか?ただ盲目なのか?ぼくは少し混乱していた。ただ、分かっていることは、あの頃には戻れないし、戻りたくもない。そして、ポーキュパインを下るためにチャーター機を探さなければいけないことだった。
 次の日、ドーソンのビジター・センターで紹介されたビューエル・エアーに電話してみる。すると、サミット・レイクまでのチャーター料は税込みで六四二ドルというので、早速、明日の飛行機を予約した。明日の朝一〇時にバスが迎えに来ることになった。いよいよ、明日、ぼくは誰もいないツンドラの山奥に行く。手付かずの大地がぼくを待っている。いったい、ぼくはどうなってしまうんだ。旅はこうでなくっちゃいけない!
 やっと計画が定まったぼくらは、空になりかけたシビーのタンクに燃料を入れにガス・ステーションに行った。プロパンを満タンにして八〇ドルだった。イーグル・プレインで入れたときも八〇ドルだったからコンとシェアーしてイヌビクまでひとり八〇ドルで来たわけだ。悪くない。
 そこまでは申し分なくことが進んだ。しかし、図書館にコピーをとりに行ってからおかしくなってきた。はじめポーキュパインに行くつもりがなかったぼくは、その地図をコンからコピーさせてもらう必要があった。
 図書館は、ノーザンというストアーの隣にあった。中に入ると今日は週末時間で早く閉まるらしく、ふたりの女性職員は閉館の用意をしていた。ここのコピーは、係員に原稿を渡してとってもらうシステムになっていた。しかし、若い方の女性職員に地図を渡すと、彼女はA4サイズの小さなコピー機で大きな地形図をどう撮ったらいいのか分からず四苦八苦していた。そして、どんどん閉館の時間が迫ってくる。最初は、川沿いの部分だけをコピーしてくれればいいと頼んでいたのだが、もたつく職員を見かねたぼくはコピー機の置いてあるオフィスへ入って自分でやることにした。すると、上司らしい中年の女職員がぼくをジロジロ見て「もう閉館だから駄目よ。早くやめて出てって!」と噛みついた。時計を見ると閉館時間の午後五時だった。ぼくが「あと五分待ってくれ」といっても、女は「明日にしてよ!」とヒステリックになるばかりだ。明日は、図書館が開く前に飛行機でイヌビクを出なきゃならない。話してもらちがあかないので、ぼくは英語が分からないふりをしてコピーをとりつづけた。しかし、流暢にはやっていられないので、川の部分に目測をつけて適当にコピーしていった。カウンターで料金を払うころには女はカンカンだった。目がつりあがってブツクサ文句をいっている。まったく、彼女には一分たりとも旅人に時間を与える余裕がないのだ。たしかに、女の人生にぼくはまったく関係なかったし、ただの邪魔者だった。ぼくは大げさにお礼をいって図書館の重い二重扉から外に出た。一部始終を見ていたシェリーさんが「いやなおばさん!」と日本語でいった。
 そして、川下りに必要な食料をノーザンに買出しに行く。一〇日分の食料を見定めていると、また、まもなく閉店のアナウンスがなった。時計をみると、あと五分しかない。客は見る見るいなくなり、レジは一日の売上を計算しだし、店員は売り場の照明を消し始めた。もう、ぼくは品物を定めもしないで適当に篭を一杯にしてレジへ飛び込んだ。週末は夕方で閉店してしまうようだ。まったく、あわただしい午後だった。
 それでも、酒屋だけは切実な需要と供給のバランスで夜まで開いていた。ぼくは中瓶のC.Cとロング缶のカナディアン(ビール)を六パック購入した。いくらでも荷物を載せられるカヌーのコンは、しこたま買い込んでいた。
 夜は、コンとバーへ行く。まずは、トラッパーズ・バーへ。ここはカントリー調の店で、どちらかというとネイティブが集まる店だ。冴えないカントリー・バンドがライブをしていて、客は静かに飲むか玉突きをしていた。踊っているのは、ほんの数人だけだ。バンドの音が大きいので、コンもぼくも無理に話そうとはしなかった。すると、腹が出て裾がすぼまっている薄い色のジーンズをはき、小さなバックを肩からかけたまま踊っていた白人の女がぼくのところにきて「踊らない?」と誘ってきた。ぼくは、丁寧にお断りした。ぼくは、その女の服のセンスが嫌いだった。そして踊りも。女は、両腕を頭の上に上げて腰を振りながら相手の顔を睨んで表情をゆがませて踊った。どうして、あんな踊り方をするのだろう。誰がどう踊ろうが勝手だが、ぼくはその女とは踊りたくなかった。コンも誘いを断った。そして、隣の男も、その隣も、その隣も。女は、可哀想な酔っ払いだった。
 名前の違う二本目のビールを飲んでいると、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、プールとテーブル席の間にある低い仕切り越しに、目が大きくて聡明そうな青年が手を差し伸べていた。彼は、タクトヤクタックというマッケンジー川が北極海に出たところにあるイヌイットの村から来た野球選手だった。明日、イヌビクのチームと試合があるという。プールをやっている男たちは、みんなタクトヤクタックの選手だった。酔った青年は薄汚いぼくらを見て「あんたたちはなんて美しいんだ!なんて美しい民族なんだ!」と叫んだ。「まるでエスキモーじゃないか!おれの従兄弟もエスキモーなんだ!」青年はぼくらに好意があるらしかったが、ただの酔っ払いだった。バンドもぱっとしなかたので、店を出てもう一軒のズーというバーへ行くことにした。青年たちは「あんな白人ばかりの店なんかつまんねえぜ。ここにいろよ」と引きとめたが、ぼくらはかまわず店を出た。
 しかし、週末だというのにズーには客が一組しかいなく、人工的な闇の中でテクノが虚しく響いていた。コンとぼくは、ビールを一本だけ飲んでキャンプ場に戻って、シャワーを浴びて寝た。
 翌日。今日から八月だ。朝食をとった後、テントを畳み、荷物をまとめる。これからユーコン準州とノース・ウエスト準州の境にある辺境のサミット・レイクへ飛ぶ。お世話になった真人さん夫婦ともお別れだ。真人さんたちは、コンとぼくを見送ってから、来たばかりのデンプスター・ハイウエイを再び走ってドーソンへ戻るという。ふたりに出会えなかったら、ぼくはここへ来ていなかっただろう。ふたりは本当の自由人だった。こんなスタイルで生きていけるのも、ぼくには大陸的に思えた。
 やがて、マイクロバスが、約束したピックアップの時間通りに、キャンプ場のフェンス越しに現れた。ぼくは、重いザックを背負ってバスがテントサイトまで来るのを待った。しかし、バスは再びフェンス越しに現れて、町の方へ走り去ってしまった。慌ててキャンプ場の受付へ聞きに行くと、ドライバーはゲートまで来て誰もいないと分かると帰ってしまったという。電話して、もう一度、戻ってきてもらう。電話で予約をしたときはテントサイトまで来てもらうように頼んだのだが、どうやら、こういうときはキャンプ場の受付にも一言いっておくのが普通らしい。バスが戻ってくるまで四〇分待たされた。
 バスは、ぼくたちを遊覧飛行のツアー客と一緒に郊外にある湖へ連れて行った。そこにはフローターの付いたセスナが二機停留されていた。水色のセーターを着た背の高いパイロットがツーサイクル用のエンジン・オイルをプロペラのすぐ横にある注入口にさしている。オフィスへ行き、料金を精算して戻ってくると、荷物はすっかりセスナの中に収まっていた。そして、のっぽのパイロットがいった。
 「こんなに荷物をたくさん持っていくやつは見たことがないぞ。あんまり重いと飛びあがるのに大変なんだ。一体、何日かけてやるつもりなんだ?」
 「一ヶ月以上かかると思う」
 実際に、コックピットの中は三人が乗る席以外は荷物で埋まっていた。後部座席に座るとザックが頭に当たって背中を丸めていなければならない。それでも、ぼくは自分たちのために用意された飛行機に乗るということに興奮していた。
 みんながすっかり乗ってしまうと、機内に開いている空間は肩の上と膝と膝の間くらいだった。「んじゃ、行くよ」とパイロットはいい、スターターを二、三回まわすと小刻みに機体を揺らしてプロペラが回りだした。セスナは、ゆっくりと湖面を滑り出し、湖の端までくると次第にプロペラの回転を上げて、水溜りを飛び越える少年のように勢いよく走りだした。爆音が耳をつんざき、足もとの飛沫が白い帯になって後方に飛び散っていく。長い助走の後、水面をひと蹴りしたかと思うと、機体は一挙に空へ舞いあがった。地上は不安定に傾斜し、セスナは進路を南西にとった。イヌビクの町がみるみる小さくなり、ぼくらの真下には、何万という水路と湖が絡まった巨大デルタが見渡すかぎり広がっていた。昔、ぼくはこの無数の水路の一本をたどって北極海に出た。それをいまは上空から見ている。なんだか古巣に戻ったような淡い感情が胸ににじんできた。
 飛行機は、向かい風の中をゆっくりと飛んでいく。前の席に座ったコンは、飛び立つ前の興奮は嘘のように、コクリ、コクリと首を傾げている。三〇分飛ぶとセスナはデルタ地帯を抜けて、ツンドラの山脈に入った。平らだった大地がぼくらに向かって突きだし、波を打ちはじめる。その間で細い水の流れが銀色に光っている。更に三〇分飛ぶと、岩山の影から小さな湖が見えてきた。パイロットは一直線にその水溜りに高度を下げ、真上に来ると一周円を描いて飛び、「ここがサミット・レイクだ」といった。
 それは、思っていたよりも小さく、岩山に囲まれ殺伐としていた。セスナは、離水のときに見せた気難しさは見せずに、いとも簡単に着水し、スプルースの幹を三本使ってつくったピラミッド型の櫓があるところに接岸した。きれいな砂浜を思い描いていた岸辺はツンドラがそのまま落ち込んでいる土の塊で、傾斜からはコケの根が動物の毛のように生えている。バケツリレーで荷物を降ろすと、機体を軽くしたセスナはあっという間に湖面を離れ、狭い谷を旋回して、イヌビクの方へ姿を消した。
 けたたましいプロペラの音が消えてしまうと、ぼくのこまくを震わすのは湖とツンドラの草原を渡る風だけになった。ここから三五〇キロ下流のオールド・クロウまで、人は誰も住んでいない。
 「きたぞー!」
 ぼくは、こみ上げてくる喜びとその影にある不安を感じ、叫ばずにはいられなかった。そして、コンと目が合うとニンマリと笑った。

ykn036.jpg 湖は、名前のとおり岩がむき出しの頂きに囲まれていた。木は、所々に頼りなくスプルースが生えているだけだ。足もとからはコケだらけのツンドラが広がり、谷間の向こうまでつづいている。湖は茶色く濁っていた。山上の澄みきった湖で鱒を釣る妄想を膨らませて来たのだが、ここには、鱒はいないだろう。せいぜいパイクがいいところだ。コンに「ここはパイク・レイクだな」というと「いいや、きっと陸封型のチャー(イワナ)がいるに違いない」といいはった。
 ツンドラの大地にはブルーベリーやサーモンベリーが鈴なりになっていた。ぼくは、コッフェルを抱えてサーモンベリーを摘んだ。あのオレンジ色のはじきれそうに膨らんだ実をかじると甘酸っぱい蜜の味がしてコリコリとした種の歯ざわりがいい。以前、イヌイットの男がこれを指差して「ニップル(乳首)・ベリー」といって笑っていたのを思い出す。ここでは、自分で取ることのできる大切なビタミン源だ。
 散策に出ていたコンが戻ってくると「魚がいた」というので、ルアー竿を持って湖に突き出た小さな岬にいく。しかし、湖は水草が水面まで生い茂っていて、ルアーを引くと何度も引っかかった。水位がとても低いようだ。これでは釣りにならないので、ぼくは気をとり直して湖の流れ出しを探すことにした。
 地図では、湖からクリークが一本流れ出していて、リトル・ベル・リバーに注ぎ、それがベル・リバーに合流してポーキュパインに入っている。岬からテントとは反対側に歩いていくと、湖は狭い入り江になっていた。そして、その最深部に湖畔一帯に群生している潅木が途切れている個所を見つけた。その周辺だけ、背の高い木が生えている。流れ出しかと思ったが、それはただの浅瀬にも見えた。とにかく、ぼくはその背の高い、といってもせいぜい二メートルくらいだが、帯状につながる木の群れに入っていった。そして、愕然とした。
 そこは、探していた流れ出しだった。しかし、その川はぼくが跨げるくらい狭く、水面を這うように両岸から木の幹が覆っていた。どう楽観的に見てもここをカヤックで下るのは不可能だった。
 「くそ!くそ!くそ!」
 なんて大変なところに来てしまったんだ。こんなクリークは下る対象にもならない。ぼくは絶望で混乱した。そして、ここに来た自分に腹が立った。あのままユーコンを下っていればよかったとも思った。しかし、逃げ道はどこにもない。
 ぼくは、テントに戻ってこのことをコンに知らせた。ふたりで、もう一度流れ出しへ行く。その溝を見てコンも唖然とした。倒木や太い幹で、流れが完全にさえぎられている。これでは、川下りではなく藪漕ぎだ。
 コンとぼくは、クリークを跨いで対岸にある小さな丘に登った。そこからは、広い谷全体が見渡せた。しかし、何度見ても湖から流れ出しているクリークは地図のとおり一本しかなかった。風が吹きつける丘の上で、ぼくは谷を見下ろしながら考えた。どうしたらいいのか。ぼくは気持ちを楽にして、自然に考えつくのを待った。すると、三つの方法が思い浮かんだ。一つ目は、ふたりとも別行動にして個人のいいと思う方法で勝手に下っていく方法。二つ目は、舟が浮かべられる場所まで、共同でひたすらポーテージ(迂回)するやりかた。三つ目は、オープンデッキで荷物ののり降ろしが楽なコンのカヌーにふたりの荷物を積んで、藪漕ぎをすることだった。
 一つ目は馬鹿げている。二つ目はどこから下れるのか見当もつかない今、あまり得策には思えない。三つ目が一番確実な方法に思えた。これをコンに話すと、彼も藪漕ぎがいいといった。
 藪漕ぎをする自分を思い浮かべてみる。狭い水路で泥だらけの川底に足をとられ、突き出した枝に傷を負いながら木の枝をへし折り、あるいは一本の断固として動かない倒木のために岸にあがり、重い荷物をばらして何度も向こう側に担いで行く作業のくり返し。ぼくはうんざりしてしまった。
 それしかないかと思いながら、ぼくは、まだ広大な湿原の谷をぼんやりと眺めていた。そうしているうちに、湖から出たクリークの細い帯が一キロほど蛇行して、もう一本の別の筋にぶつかっているのに気がついた。リトル・ベル・リバーだ。とりあえず、ぼくたちは、クリークがリトル・ベル・リバーに流れ込んでいるところを見に行くことにした。
 丘の上から見るツンドラは、真っ平らな平原に見えたが、実際はひどい凸凹で足をとられて歩きづらかった。辛抱強くゆっくり歩いて合流点に出ると、そこは一〇メートルほどの崖になっていて、下には幅一〇メートルくらいの澄みきった小川が流れていた。そこは、木立が覆いかぶさっていることもなく、なんとか下れそうだった。これで決まった。ぼくらはポーテージすることにした。手順はすぐに思い浮かんだ。まず、いまキャンプしているところからこの合流点に一番近い岸まで舟を漕ぐ。そして、荷物をばらしてここまで担いで来るのだ。それしかない。
 方法が決まってしまうと、不思議なほど絶望感はなくなった。
 次の日、ぼくは一時間半かけて舟を組みたてた。新艇は、まだ組む要領がつかめていないので時間がかかってしまう。できあがる頃には汗だくになっていた。
 これで今日の仕事は全て終わった。街を離れ、自然の中で単純生活を送っていると、一日に何かひとつの用事をすれば、それで満足してしまう。あとは、きれいな魚でも釣ることくらいしかない。ぼくは、ルアー竿とフライ竿二本を持ってリトル・ベル・リバーへ向かった。
 川岸に出ると雨が降り出した。鱒はいるだろうか。ぼくは黄色いゴア・テックスの上着を着て、腰まであるブッシュを分けながらすり鉢状に落ち込んだ急な崖を降りていった。雨露に濡れたブッシュで、ズボンはびしょびしょになる。川は右に大きく蛇行して、広い淀みをつくっていた。そこでルアーを投げると、グレーリングがきた。一匹ばらして、一匹取り込む。まあまあのサイズだ。
 少し上流に行く。きれいな白砂の川床を速い流れが揺らしている。すると、大きな魚がヒレだけをゆらゆらと揺らして川底に張りついていた。ぼくは、そっと上流に回りこみ、ルアーを下流側に落とし、そいつのすぐ横を泳がせた。しかし、魚は頭を少しルアーのほうへ向けるだけで食いつこうとしない。それは、何度やっても同じだった。ルアーの色や大きさを変えても反応がない。次第にじれったくなる。しかし、こんなときは慌ててもろくなことはない。ぼくは、竿を置いて、しばらくその影を眺めていることにした。まったく、見れば見るほど立派な姿だ。そいつの前にはどんな魚も出てこようとはしなかった。どうしても、こいつを釣らなきゃならないと思った。ぼくはフライの竿を出して、ティペット(テズク)に赤い尻の毛鉤をつける。そいつを四、五回振って、やつの鼻先に落とした。すると、大きな影は背ビレを振って向きを変え、水面の毛鉤を飲み込んだ。ラインがピンと張り、ぎゅっと竿が絞られる。あとはこっちのものだ。ゆっくりと弱るのを待ち、手元に寄せる。五〇センチのいい型だった。ライムのような青い魚体がぬらぬらと雨の日を映して光っている。背ビレを摘み上げると、無数の赤い斑点が半透明の青に透けて見える。その姿は柑橘類の匂いがしてきそうなほどみずみずしかった。
 鱒はいなかったが、大物を釣ったぼくは気をよくしてテントに戻った。そこで百万の蚊がぼくにまとわりついてきたが気にもならない。魚は、コンと分けてお吸い物とムニエルにして食べた。これにビールも開けて、いうことはない。
 コンとぼくは、晩になると火を囲んで話し込んだ。コンは、世界に三箇所くらい家を建てて、そこを自由自在に行き来して暮すのが夢だといった。ぼくは、力学的には飛べないはずの虫が、思い込みだけで本当に空を飛んでしまう話をした。そして、カナダのこんな僻地で、知り合ったばかりの日本人とふたりきりでいる奇妙さに気づく。この空気の中で日本語が響くことさえ奇妙に思える。ぼくは、ここに来るまでコンの夢を知らなかった。コンはぼくの好きな昆虫の話を知らなかった。街では知らなかったそれを、ぼくらは互いにここで知った。それは、軽口なのか。信頼から来たものなのか。とにかく、ここでしか話されなかったことだろう。ぼくはその必然性のない絶対性を感じ、デジタルのようなゼロかイチかの違いを知った。オンかオフ。いるかいないか。ぼくらは、お互いの存在を確かめるように話をした。
 サミット・レイクに来て四日目。快晴。前の晩、飲みすぎて二日酔いがとれたのは昼過ぎだった。ベーコンエッグとパンでブランチをすませると、ぼくらはパッキングをはじめた。今日は、湖からリトル・ベル・リバーまで、湿原をポーテージしなければならない。まずは、直線距離で一番川に近い岸まで舟を漕いだ。大変なのはそれからだった。舟に積んだ荷物を全部降ろし、ひとつずつ一キロ先の開けた川辺まで運ばなければならないのだ。まず、ぼくは舟を入れる大きなザックに自分の一番重い荷物を入れて運ぶことにした。しかし、凸凹で柔らかい湿原は、足を踏出すたびに深く沈み、まるでスポンジの上を歩いているようだった。ぼくは、なるべく先を見ないように地べたを眺め、他のことを考えながら歩くことにした。それでも、川辺に着くころには呼吸がうまく出来ず、しばらくその場でひっくり返っていなければならないほど苦しかった。コンは、荷物を運んだところに自分のパドルを立てて目印にした。舟は組んだまま、ふたりで運んだ。結局、ぼくらは、湖と川の間を三時間かけて五往復した。コンは、運び終わったその場で白目をむいてのびてしまった。今日はこれで充分だ。ぼくは、湿ったコケの上にテントを張り、汗だらけになった体を洗うことにした。川に行く途中、テントの方を振り返ると、大湿原の中に見える小さな青と黄色のテントはまるでモンゴルにでもいるような錯覚をぼくに起こさせた。
 裸になって川に飛び込む。大仕事で熱くほてった体の疲れは、誰の手にも触れていない冷水で吹き飛んでしまった。
 夕食は、またグレーリング。湿原は吹きさらしで火を起こしにくかったので、地面のコケをナイフで切り取り、その穴で焚火を起こした。大汗をかいた後のビールは腹にしみた。日が傾くと、頭の上に蚊柱がたちはじめたのでテントに逃げ込む。明日はついに川を下り始める。第二の旅がはじまるってわけだ。
 出発の日、空は晴れて春のように暖かく、山は靄でかすんでいた。ホットケーキを食べていると、コンも起きてきた。その顔を見てぼくは吹き出してしまった。下唇が、いつもの三倍に腫れ上がっていたのだ。コンは、昨日、ぼくが寝た後も焚火にあたりながら本を読んでいた。そのとき、いつのまにか虫に刺されたのだという。パンパンに腫れているせいで口が完全に閉まらず、水を飲むと開いた隙間からこぼれてしまう。気の毒だが、笑わずにはいられなかった。
 河原に下りると、すごい数の蚊がまとわりついてきた。放っておくと目や鼻からどんどん入ってくる。たまりかねて、防虫ネットをかぶり、長袖のシャツを着た。暑くてたまらないが、虫に刺されるよりましだ。しかし、荷物を降ろしはじめると大汗をかき、なおさら虫がたかってきた。
 暑い盛りの正午過ぎ、いよいよリトル・ベルに漕ぎ出した。川は、五メートルほどの切り立った崖の下を舟底が擦れるくらい浅くなったり、底が見えなくなるほど深くなったりしながら激しく蛇行した。幅は、せいぜい四、五メートルと極めて狭く、水は澄んでいるが川床は泥のような粒子の細かい砂で、無数の倒木が流れに倒れ込んでいた。激しく曲がりくねる川の先は、その影になにがいるか見当もつかなかった。万が一、クマにでも出くわしたら、ひとまたぎで舟に足をかけられてしまうだろう。コンもぼくも、川が曲がり角にさしかかるたびに大声をあげて自分の存在をアピールした。
 ステーキ!マグロの中落ち!ヒジキ!にっころがし!
 そのうち、ただ叫ぶのに飽きたぼくは好きな食べ物の名前を叫んだり、ハーモニカを吹きだした。
 しかし、のこぎりのようなギザギザの頂をもった巨大な岩山が前方に見えてくると、ハーモニカを吹いている余裕などなくなってしまった。山の岩盤が川を横断して、砂地だった川床を鋭い角を持った石に変えたのだ。そして、水深も浅くなり、長い瀬が現れるようになった。その瀬は、乗って下るには障害物が多すぎて、舟を引いて歩くには流れが速すぎた。無理に漕いで舟を壊しては大変なので、舟を引いて川の中を歩くことにした。しかし、舟はひっかかるくせに流れが速いので、歩くと太股まで水が跳ねあがってくる。ただでさえ滑りやすい長靴なのに水が入ると全くひどい代物になった。重い。ずれる。滑る。何時間もそんな状況がつづいた。
 そして、速い流れが一ヶ所に集中しているところで、足を滑らせ岩の間に左足を挟んで転んでしまった。それでも、ぼくはびしょぬれになりながら引いていた舟にしがみついて、なんとか立ちあがった。起きあがると、左足のズボンが破れて、脛から血が流れていた。声が出ないほど痛い。コンが後ろで笑っている。川下りをはじめて八年になるが、ケガをしたのははじめてだ。もう、ぼくは、しゃべる気力もなくして黙々と歩いた。
 ようやく岩盤の川床を通りすぎても川は相変わらず倒木が多く、完全に流れをさえぎっている場所もあった。そういうときは勢いをつけて無理やり乗り越えたし、少しでも隙間があったら潜ってみせた。左足はいつまでたっても血が止まらず、鈍い痛みが残っていた。それでも、ぼくはこのリトル・ベルを今日中に抜けてしまおうと決めていた。ベルに出れば水量も増え、舟に乗って下れると思っていたからだ。
 そうして、出発してから六時間後、流れが止まったかと思うと、突然、視界が開けた。ベル・リバーだった。幅が二〇メートルほどあるこの川は、水量もあり水も澄みきっていた。そこで、ぼくが真っ先に実行したことは、ただちに岸に上がりテントを張ることだった。へとへとだった。
 ぼくが傷の手当てをしている間、コンは焚火の薪を集めてくれた。夕食は、またグレーリング。毎日、魚ばかりで飽きていたが食べられるだけでもありがたい。食事が終わる頃には、ぼくらは妙に落ち着いていた。そこは目の前がちょっとした瀬になっていて、水と水がすれる心地よい音を鳴らしていた。これくらいの川の大きさが、ひとの心をなごませるらしい。心のサイズと同じなのだ。やっと川らしい川に出た。
 ベル・リバーの初日は暑さで目が覚めた。気温はみるみる上がって、出発するころには三三度にまであがった。ユーコンにいたときよりもかなり暑い。まるで、夏が戻ってきたようだ。
 コンは少し先に出発していた。流れに乗ると、木の葉の一枚一枚が見えるくらい近い森がゆっくりと動き出した。舟の下には、グレーリングや鯉のようなホワイトフィッシュが群れているのが見える。ルアーを投げると入れ食いで釣れてしまう。彼らとぼくの住む世界を分けているのはH2OとO2の違いだけだった。豊かさという点では全く同じなのだ。健全な自然の真っ只中にいて、ぼくは胸が騒いだ。
 そして、小さな欲望が生まれてきた。サケを釣ることだ。サケはサケ族の長であり、鱒フェチにとってそれを釣り上げることは、ある意味で本質に触れることでもある。この豊かな環境と八月という時季、二〇から五〇メートルの川幅という手頃な大きさは、ぼくにも仕留められる可能性を与えてくれるはずだ。ぼくは、川の中に大きな影が走ると原始的な興奮を覚えた。しかし、ルアーを投げても釣れるのはグレーリングやパイクばかりだった。それを見ていたゴールデン・イーグルが川面をゆさゆさと飛んでスプルースの木にとまり、あざ笑うように糞を落とした。
 ぼくは、漕ぐのもいやになって後ろにのけぞり、デッキの上に積んだ荷物に頭をのせて空を仰いだ。川の両岸に迫るスプルースの剣先が、まるで映画フィルムの両脇についている引っ掛け穴のようで、カタカタと映像をまわしていく。靄でかすんだ青空。その粒子のひとつひとつが見えるような空気の動きを感じる。それは、古いフランス映画で見た淡い青色と同じだった。すべての大切なことも、じつはたいしたことではないと思えてきたりする。そんな風に感じられることも必要だなと、更に思う。
 ぼくは、小さなクリークの流れ込みでホワイトフィッシュを釣り、舟の横に括りつけた。それが、ふたりの夕食になった。ぼくは、塩と胡椒を振り、刻んだ玉ねぎと一緒にホイール焼きにした。ネイティブがこの魚をドライにして食べるだけあってなかなか美味い。最後のビールを開けてひとおもいに飲み干すと、コンがあっと声をあげた。振り向くと五〇メートルほど離れた河原に雄のムースが立っていた。頭には、すでに角が生えだしている。彼は、しばらくこっちを見詰めると、ぼくらが下ってきた流れをあっという間に渡って姿を消した。その速さに驚く。水など存在しないような速さで渡った動物は、ぼくの頭の中でクマに置きかえられた。飛びつかれたらひとたまりもないだろう。オールド・クロウはまだ遥か彼方だ。
 次の日の朝、コンより早く起きたぼくはお茶を沸かしていた。すると、対岸の森で木の枝がバキバキと割れる音がした。ムースかと思って姿を現すのを待っていると、筋肉質の丸い背中が現れた。ぼくは慌てて大声をあげ、コッフェルをフォークで叩きだした。すると、その背中は立ちあがり、ブッシュの上に顔を出した。ブラウン・ベアーだ!ぼくが大声をあげて騒ぎだすと、コンも起きてきて、一緒に叫びはじめた。クマは、対岸沿いに近づいてきた。とっさに、川を渡らせてはいけないと思ったぼくは、コッフェルを叩きながらクマに向かって歩き出した。すると、クマは大きく立ちあがって、尻を向けると森の中に逃げていった。
 この日、ぼくはクマを三回も見た。流れの両脇には無数の獣道があり、森のあちこちからは大型動物の歩く足音が聞こえ、獣の気配がプンプンしてくる。ここは、ユーコンの上流よりも動物が多いようだ。
 どちらがいうともなく、コンとぼくは、ポーキュパインに出るまでは気を抜かずに漕ぐことに決めていた。ふたりとも、予想以上に川の流れが遅いことを気にしていた。それに、イヌビクを離れて既に六日がたっている。最初の憶測ではオールド・クロウまで七日から一〇日で行けると思っていたが、まだ、半分どころか三分の一しか来ていない。それが気負いになって、毎日めいいっぱい漕ぐせいで疲れが溜まっていく。連泊したい気分の時でも、その焦りに後押しされて出発してしまう。魚が釣れているのでなんとかなっているが、そろそろ食料がもつか心配になってきた。そこにクマの出現だ。ぼくは、すっかり弱気になってしまった。よくよく考えてみれば、サケなどいなくてよかったのかもしれない。川幅二〇メートルたらずの浅い川で、サケを狙ったクマが立っていたらどうする?ぼくらは、そこを下れるだろうか?考えただけでも恐ろしい。
 ほとんど流れのない川は、いくら漕いでも手応えがなく、その場でもがいているだけのように錯覚させた。ロック・リバー。イーグル・リバー。支流が加わるたびに、流れが生まれるのを期待したが、川は幅を広げるだけで、濁るばかりだった。
 イヌビクを出て九日目の夜、ぼくはいつものようにパイクのムニエルとお吸い物を食べていた。それに対して、コンはニンジン、玉ねぎ、ベーコンを入れたトマト・ソースでパスタを食べていた。それにシー・フィッシュとビールだ。ぼくは、なんだか自分がみすぼらしく思えてきた。スペースに余裕のあるカヌーを使っているコンがぼくよりも食料を多く持っているのはあたりまえだし、理解しているつもりだ。しかし、一日中流れのない川を漕いで、はらぺこになった目の前で豪勢な(?)食事をされてはいい気がしない。別々と思ってはいても、一緒にいるとどうしても頼りたくなってしまう。それなら別れてしまったほうがいいと思った。ぼくは、もともとひとりで下りに来たのだ。思い返してみれば、ホワイトホースから誰かと一緒にいたときのほうが多い気がする。狭い川の上だ。コンとここで別れても、いままでのように抜きつ抜かれつ下ることになるだろう。オールド・クロウまでは、まだ二〇〇キロ以上あるが、自分ひとりなら何とでもなる自信があった。ぼくは、焚火にあたりながらコンにいった。
 「明日から別行動にしよう」
 一瞬、コンは意表を衝かれた表情をしたが納得してくれた。
 次の日の午後、ぼくはコンより先に岸を離れた。
 力いっぱい漕ぎ出す。すると、なぜか心が解き放たれたような清々しさで体がいっぱいになった。いままで、コンが前か後ろにいると思うと、頭のどこかで絶えず彼のことを気にしていた。しかし、いまは違う。相手のことを考えてペースを落としたり、待たせたりする必要はない。ぼくは、ひとりっきりなのだ。自分のことだけを考え、重要と思えることだけ感じればいい。ぼくは、漕いでいること自体が楽しくてしかたがなかった。心とパドルのリズムがぴたりと合っている。そんな感じだった。
 そして、四時間ほど漕いでいると、川の前方をベル・リバーとは違う背の高いスプルースの森が横切っているのが見えた。それは、明らかに違う川が流れていることを示していた。ポーキュパインだ!
 本流に流れ込むと、一挙に空が膨張し、水が満ちた。視界はこの二つで溢れてしまった。ぼくは、嬉しくなって大声で叫んだ。しかし、開けた森はあらゆる音をシュンと飲み込んでしまう。それが、本流の持つ開放感だ。この流れを下ってさえ行けばオールド・クロウに着く。ぼくは、ある種の安堵感を覚えた。
 ポーキュパインの川幅は二〇〇メートルを越えていた。流れは相変わらずゆるいが、ベル・リバーよりは速い。ぼくは、トローリングで夕食用に八〇センチのパイクを釣り、しばらく流されて、薪の多い河原でテントを張った。
 翌日、サーモン・キャッシュ・キャニオンに入る。ここは断崖に囲まれていて、川は深い瀞場になっていた。ポーキュパインにはサーモンの名前がつく川がいくつかある。ぼくは、今度こそサケが釣れると期待した。しかし、釣れるのはパイクばかりだった。いくら流れに目を凝らしても、サケの姿は見当たらない。
 小さな支流いっぱいにサケが上っているのではないかと思い、サーモンの名前がつく流れ込みを覗いてみたが、サケどころか魚一匹も見当たらない。その代わりに、クマとオオカミの足跡がついているだけだ。がっかりして再び川に出ると、一〇回もパドルを漕がないうちに雨が降り出した。遠くに見える稜線はどす黒い雨雲に飲み込まれていたが、川の上の雨はしっとりと優しく降っていた。それは、雨の日に家でゆっくりと外を眺めているような安堵感をぼくにくれた。水面に落ちる雨音は、驚くほど乾いた音でシャリシャリと水に溶けてみせる。気のせいか、小さく広がる波紋も静かで柔らかい。こんな優しい雨ならずっと漕ぎつづけてもいい気さえした。
 やがて、川が大きく右に蛇行してつくった広い河原に出た。そこに上がると、かまどにおあつらえむきの岩があったので、そのそばにテントを張る。流木が滞積している場所を掘り起こし、濡れていないものをかき集めて火をおこす。ソーセージを炒め、マヨネーズをつけて食べた。米は、あと二日分しかない。最近は魚ばかり口にしているので屁まで魚臭い。なにか、強い味のものが食べたくて仕方がなかった。肉。肉がほしい。エネルギーが足りないのだ。
 翌朝、目を覚ますと、雨に打たれたフライシートがパラパラと音をたてていた。ぼくは、今日一日、ここにとどまることにした。
 雨は昼前に止んだ。腹が減ると、適当にルアーを投げてパイクを釣る。釣って本を読む。焼いて本を読む。食べて本を読む。糞をして本を読む。そして、日が暮れた。
 ところが夜になると、本を読みすぎたのか頭が冴えて寝つけなかった。そして、明け方にようやくウトウトしたとき、ぼくは妙な夢を見た。
 ぼくは俳優で、大きな舞台の上でたくさんの人たちと一緒に踊らされていた。その踊りは激しく、みんな息を荒立てている。そして、ぼくは、踊りながら、これには終わりがいのだ感じている。巨大な劇場の客席には数人の観客しかおらず、みんなつまらなそうに見ていた。それでも、踊っているみんなは結構しあわせそうな顔をしていた。
 夢から覚めたとき、ぼくはその公演の名前はなんだったか思い出そうとしたが、思い出せなかった。そして、外は冷たい雨が降っていた。岸に上げた舟のところまで川が増水していたので、慌てて引き上げる。
 今日の雨にはおとといのような優しさはなく、冷淡で容赦なかった。それでも、ぼくは出発することにした。食料に余裕がないのだ。
 流れに乗って漕ぎ出すと、思ったより冷たい風が吹いていて、帽子を深くかぶっても顔が濡れた。こんなときは、自分の意識を野放しにして、黙々と漕ぐ。意識は勝手にいろいろなことを思い起こさせ、想像させる。中学生のころ好きだった女の子のこと。乗っているカヤックの舳がひん曲がっていたらどうなるか。全ては意味がなく、自動的に展開していく。そして、漕ぐ。
 雨と風は、襟や袖の隙間から服の中に入ってきて、ぼくの体温を徐々に奪っていった。ある時点を過ぎると体力も急激になくなった。頭は、岸に上がったほうがいいと考えるのだが、体が無気力で動くことを拒んでしまう。そうしているうちに、適当な岸はどんどん通りすぎてしまう。ぼくは自分をコントロールできずにいた。やはり、もう一日停泊すればよかっただろうか。限界が近づく。そして、また、小さな河原に上がろうか迷っていた。そんなときだった。河原に生えていた木の枝に一羽の鳥がとまり、首を上下にゆすりはじめた。その仕草が、下の河原を指して「ここにしなよ。ここがいいって。でないと風邪ひいちゃうぞ」とぼくにいっているように見えた。
 ぼくは、すぐにその河原に上がり、ずぶ濡れのテントを張って、中にもぐり込んだ。バーナーでお茶を沸かし、一口飲むとやっと落ち着いた。あの鳥のいうことを聞いてよかった。あのまま下りつづけていたら、体調を崩していたに違いない。冷えきった体が暖まってくると、パドルを漕ぐときに返す左手首が痛んだ。漕ぎ過ぎだ。ぼくは、エネルギーがほしくて、ビスケットをむさぼった。
 翌日、昼過ぎに雨が止んだ。夕食用のパイクを釣って、三枚に下ろしてから出発する。すると、モーターボートが川を遡ってきた。サミット・レイクを出てからはじめて会う人間だ。ボートは、速度を落としてぼくの舟に近づいてきた。グイチン族(インディアン)と白人の男が乗っていた。最初のひとことは想像したとおりの言葉だった。
 「ムースかカリブーを見たか?」
 「いや、この辺じゃ見てないね」
 一通り旅の話をすると、グイチンの男がいった。
 「ちょっと上を見てくる。また、戻ってくるよ。あとでな」
 ボートは爆音を上げて上流に姿を消した。ぼくは、左手首の痛みを押さえるためにブレード(櫂)の角度をフラットにした。
 シートの横に出しておいたリンゴを食べる。果汁の甘味は今のぼくの体にとってとびきりのご馳走だった。しかし、今朝釣ったパイクを除いて「生」の食べ物はこれでなくなってしまった。
 夕方、さっきのボートが上流から戻ってきた。ふたりが大きな手振りで「こっちへ来い」と合図する。舟を近づけるとインデイアンの男がいった。
 「舟をつけて、こっちに乗らないか?」
 舟を押さえてもらい、ボートに乗り移る。ぼくは、足を投げ出して座った。狭苦しいカヤックとはちがい、広々として気持ちがいい。ボートにはマーキュリー社の九〇馬力のエンジンが付けられていた。ここでは、車より実用的な交通手段だ。
 丸顔でエンジ色のキャップをかぶり、サングラスをかけているグイチン族の男は、デニスといった。白人はスティーブといい、白くなった髭を伸ばし、ビーバーの毛皮帽をかぶっている。
 デニスは「腹減ってるだろう」といって、パイクのホイル焼きと暖かい紅茶をくれた。パイクは食べ飽きていたが、たっぷり塗られたバターの味に胃がとびついた。それにチーズとクラッカー、サラミをもらう。彼らは哀れな旅人に自分たちの夕食を与えてくれたのだ。ありがたい。
 スティーブは、オレゴンの元カウボーイで、二年前、イーグル・リバーからポーキュパインをボートで下ったときに川の上でデニスに会ったという。それから、毎年、夏はデニスの住むオールド・クロウに遊びに来ているらしい。「雪がふるまでいるよ」とスティーブは手をもみながらいった。
 「上流で、もうひとり日本人に会わなかった?」とコンのことを聞く。
 「会ったよ。あいつも食料がほとんどなくて、おれが携帯用に持ってきたポーキュパイン(ヤマアラシ)の肉をやると、あっという間に全部食っちまった。でも、あいつウイスキーだけはしこたま持ってたなあ。ボートに乗るかって聞いたが、乗ってこなかった。どうしてだろう」
 英語が苦手なコンのことだから、なにをいわれているのか分からなかったのだろう。とにかく無事らしい。よかった。
 久しぶりにローカルの人と話をするのは楽しかった。ふたりは、ぼくの食料が少ないのを心配して、このまま村まで乗せてやるといってくれたが、ぼくはどうしても自分で下りたかった。一時間ほど話をした後、適当な河原で降ろしてもらう。町に着いたら訪ねる約束をして別れた。
 その晩、辺りが薄暗くなったころ、火にあたって残り少ないC.Cを飲んでいると、また、下流からボートがやってきた。ボートは焚火の明りに気づいて、ぼくのところへやって来た。もう、相手の顔もよく見えないほど暗くなっている。彼らもふたりずれで、例の挨拶をした。
 「ムースかカリブーを見たか?」
 ぼくは、デニスたちにしたのと同じように答えてやった。ふたりはロバートとリチャードとう青年だった。レンジャーの仕事をしているロバートは、丸顔でまだ少年のような高い声をしている。ロバートは闇の中でも白目が目立ち、鋭い眼光を放っていた。三人でC.Cをまわすとあっという間に飲み干してしまった。
 ロバートに、ベル・リバーの河原で無数の獣道を見たことをいうと、
 「それはカリブーだろう。今年の春に川を渡ったときのものだと思う。やつらは、この辺りを三回くらいまわってから北へ向かうんだ。もうすぐ、秋の移動がはじまる。あいつらが川を渡っている光景は凄いぞ。川一面がカリブーでいっぱいになるんだ」
 といって、自分の持っているイギリス製のレインジャー(ガン)を抱え直して白い歯を見せた。
 一五万頭を越すカリブーが、毎年春と秋に、このポーキュパインを渡って北と南に大移動する。なぜ、そんなに多くのカリブーが同じ時季に移動するのかは全く分かっていない。ぼくも、是非、カリブーの大群で川が埋め尽くされる光景を見てみたい。
 ロバートに頼んで、レインジャーを撃たせてもらう。ずっしりと重い銃を肩にあてて構え、対岸にそそり立つ断崖めがけて引き金を引いた。すると、銃は耳をつんざくような銃声をあげて炸裂し、ぼくが狙った標的よりも少し上の斜面で噴煙があがった。強烈な衝撃。銃声は何度か闇の中で反響してあたりに轟いた。
 これでカリブーを殺すんだ。
 衝撃と銃声は、ぼくにその威力を思い知らせた。そして、この冷たい鉄の塊の中に、彼ら狩猟民族の生活が宿っているのを感じた。これがなければ、彼らは生きてゆけないのだ。ぼくは、足元に落ちた薬莢を拾い上げ、以外にも冷たいことに驚き、ポケットにしまった。
 ふたりは、もう暗すぎるといって、村に戻っていった。帰り際にロバートがいった。
 「酒を飲ませてくれて(shot)ありがとう」
 「銃を撃たせてくれて(shoot)ありがとう」
 と答えると、三人で笑った。
 翌日、八月一五日。日本は残暑真っ盛りだろう。しかし、ポーキュパインの夏は終わり、短い秋があたりを染めはじめていた。川に漕ぎ出してトローリングをしながら下る。昨日、デニスが、いまポーキュパインにはチャム・サーモン(銀鮭)が上ってきているといっていた。しかし、ポーキュパインのサケは支流には入らず、ひたすら本流を上るらしい。だから、ベルでは一匹もサケを見なかったのだ。しかし、一時間、トローリングをしてもなにも釣れなかった。ぼくは、漕ぐのに疲れてパドルを置いた。すると、不意に圧倒的な静けさがぼくを覆い尽くした。ブランコがきしむような金属音で鳴くワタリガラスの声が、川を渡る風にのって聞こえてくる。彼らは、何十通りもの鳴き方を持っていて、ときには、人間が囁いているような鳴き方もする。ちぎれ雲の多い晴れ間は、遠く森の彼方までつづいて光と影のコントラストを美しく浮かび上がらせている。ポーキュパインは大河の様相を帯びてゆっくりと大地の上を押し進んでいた。
 森の静けさは、微かな音が重なり合って存在している。ぼくは、そこに大地の底知れぬ深さ、大きさを感じ、それらがもののけとなり、人々の心をも従えてしまう力があるような気がした。
 その日の夕暮れ、川岸にはキャビンが目立つようになった。明日にはオールド・クロウに入れるだろう。ようやく先が見えた。ぼくは、安心して川に流されながら、辺りをぼーっと眺めていた。すると、河原に小さな男の子がしゃがんでぼくを見詰めているのに気がついた。近づいていくと、土手の上にキャンパス地のテントが張られているのが見えた。グイチンの若夫婦が土手の上に仲良く座っていて、ぼくが岸に上がると旦那が立ち上がった。
 頬骨が張った目の小さい夫は、ぼくに椅子を勧めるとポーキュパインの肉を差し出した。彼らは、週末だけここにきて三人家族でキャンプを楽しんでいるという。
 差し出されたポーキュパインは、スプルースの枝を敷き詰めた上に置かれていた。何時間も火にかけられていた肉は、白い湯気をあげてプルプルしている。骨がついたまま渡された。表面にはポーキュパインのあの針穴が無数に残っていて、噛むとゼラチン質の脂肪がグニョリをたわんで切れる。その下からは、一見、うさぎのような身の黒い肉が現れ、噛みしめると、苦みばしったおつゆがジュッときて、妙な例えかもしれないが、アイルランドのギネス・ビールのような渋い味がした。ぼくは、礼儀として「うまい!」といったが、毎日は食べたくない代物だった。彼らも普段はあまり食べないらしい。
 それを食べ終わると、旦那は後ろのブッシュからワイルド・ティーというものを摘んできた。ハーブティーの一種らしい。彼は、針のように細い葉がついた枝をそのまま沸騰させたお湯に突っ込んだ。これが、とても控えめで上品な味がし、鼻から抜けるさわやかな風味はゆっくり甘みに変わる。ぼくは、このお茶がとても気に入った。すっかり落ちついてしまったぼくは、彼らのキャンプの下にテントを張って眠った。
 翌日、だいぶ日が高くなってから子供がテントにやってきてぼくを起こした。彼らのテントに呼ばれて中に入ると、そこは八坪ほどの広さがあり、ストーブを焚いているおかげで、Tシャツ一枚でも大丈夫なほど暖かかった。ぼくはキャンパスのテントには初めて入ったが、とても快適だった。パンケーキとベーコンエッグをご馳走になる。お礼に皿を洗って、出発の準備をしていると、下流からボートが一艘上がってきた。男がひとりで乗っていて、岸に上がるとぼくの方に歩み寄って来た。
 「日本人か?」
 「そうだ。トモだ」
 「ジョージだ。寿司は好きか?」 
 「ああ」
 「魚があるぞ」
 と見せてくれたバケツの中には、ぼくが欲しくてたまらない魚がいた。チャム・サーモンだ。顎がしゃくり上がり、牙が立っている見事なやつだった。ほかにもホワイトフィッシュやシーフィッシュが入っている。昨日は、チャムが三匹、キングが一匹、網にかかっていたと言う。やはり、上がってきているのだ!ジョージは、自分のキャビンに来れば食わせてやるといってくれた。
 早速、ついて行くことにする。途中、コンも合流した。ここから二キロほど下流にジョージのキャビンがあるというので、パッキング前だったぼくは荷物ごと彼のボートに乗せてもらうことにした。ちょっとくらい楽をしてもいいだろう。あっという間に自分で漕いでいるコンを追い越してしまった。悪く思わないでくれ。
 川が大きく右に曲がると、ジョージのキャンプが土手の上に見えて来た。キャンプには、屋根だけの調理場と食料用の小屋、建てかけのキャビン、寄宿用のテント、それに二四頭の犬とその世話をするジーンというグイチンの青年がいた。
 このキャンプに限らず、インディアンたちは獲ったサケを犬にやる。人間も食べるが、大半は長時間ドラム缶の中でグツグツ煮て特製スープをつくり犬の餌にしてしまう。このときも、昨日獲られたキングは既に犬にやってしまった後だった。
 ジョージがコンとぼくにチャムを料理してくれた。ただフライパンで炒めただけなのだが、それは何千キロも彼方のベーリング海から真水を上ってきたつわものとは思えないほど、しっかりとしたサケの美味さを湛えていた。
 ジョージは、明日、村で仕事があるというので帰っていったが、ぼくらはここが気に入り、一泊させてもらうことにした。その日は、ジーンも一緒に三人で屋根のないキャビンで寝ることになったのだが、ひどい冷え込みでほとんど眠れなかった。ぼくが使っている寝袋はスリーシーズン用で、あるものを全部着ても寒かった。いまからこんなでは先が思いやられる。冬用の分厚い寝袋を持ってきたコンだけが気持ちよさそうに眠っていた。気温はマイナスになっていた。
 そんな眠れない夜を過ごしたものの、ぼくは次の日、一番に起きて、ジーンとコンをたたき起こした。今朝は、川に仕掛けた網を見にいくことになっているのだ。
 しかし、ジーンは、スライス・ポテトに卵をかけて炒めた朝食をとって、二四頭の犬たちに特製スープを振舞ってからだといった。
 犬たちが面白かった。彼らは、ドッグ・チームとしてジョージに選ばれた選りすぐりだった。餌をもらう彼らの姿は喜びに満ちていて、ひとたび自分の皿に食い物が盛られると一斉に武者振りつき、終わると一斉に糞をした。彼らが鎖をはずされることはまずない。夏の間は飯を食い、寝て、糞をする。そして、冬になると橇につながれ、主人を引いて雪の原野を駆けずり回るのだ。それが全て。彼らは散歩させてもらうこともなく、頭をなでられることもほとんどない。ペットではなく、生活の道具なのだ。
 さて、いよいよボートに乗り、ぼくらは網を見に行くことにした。網はふたつあり、そのどちらも、川の芯とエディー(逆流)の境目に仕掛けられていた。しかし、下流側は木の枝しかかかっていなかった。希望を二つ目の網につなぐ。すると、ジーンの手繰り寄せる網に三本のチャムが上がった。雄一匹。雌二匹。雄は顎がしゃくり上がり、牙を持ち、雌は丸くて滑らかな頭をしている。無造作に頭からバケツに突っ込まれ、はみ出した尻尾がワサワサと揺れている。サケにしてみれば地獄だろうが、ぼくはすっかり豊かな気分になってしまった。
 「いい眺めだね」
 コンも「素晴らしい!」と叫んだ。
 収穫の喜び。弱肉強食の世界。生産と消費が直結している環境。とても大切なことだと思う。
 キャンプに戻ると、ぼくらは早速サケをさばき、筋子をほぐすと直径二〇センチのボールがイクラでいっぱいになった。身の方は焚火でグリルして、それをそぼろにする。このふたつをあつあつご飯にたっぷりかけて特大親子丼をつくった。自分の手で釣り上げた獲物ではないが、今回の旅で食べたくて仕方がなかったサケの親子丼がいま現実のものとなったのだ。ぼくは、大きなスプーンでそいつに食らいついた。ほどよくしまった身と水風船が割れたように広がるイクラの液体が熱いご飯に溶けて美味い!コンもぼくも感無量だ。
 食後のコーヒーを飲みながら、ぼくはジーンにグイチン族について聞いてみた。
 グイチンとは、この地域を代表するインディアン部族だ。この部族は、ポーキュパインのオールド・クロウと北はマッケンジーのフォート・マクファーソン、南はアラスカのフォート・ユーコンを中心に分布している。だから、ポーキュパインを下るということはグイチンの世界を旅するということでもある。カリブーが大移動するルートに住んでいる彼らにとって、カリブーはムースと並ぶ大事な食料源であり、生活自体がその大移動の密接している。
 「ジーンの夢は?」と聞くと、彼は少し考えてから話してくれた。
 まず、今年の冬、叔父のジョージと自分が面倒見ている犬たちでドッグ・チームを組んでフォート・マクファーソンまで行くこと。また、オールド・クロウはほとんどの家が親戚関係にあるので、アラスカのフォート・ユーコンへ行って花嫁を探し、町ではなく、このキャンプの近くにキャビンを建てて暮したい。そして、いまジョージから学んでいるブッシュでの知恵を子供たちに伝えていきたいといった。
 「それが世代の役目だ」
 ジーンは、ぼくにたびたび「ここの生活は好きか?」と聞いた。ぼくは「もちろん好きだ」と答えたが、その質問は自分の生活に対する自信の現れだった気がする。
 ぼくは、自然の中を旅するのが大好きだ。そして、その自然の中で生きる人々と出会うのがもっと好きだ。景色と言うものは、どんなに美しいものでもやがて飽きてしまう。ところが、そこにいる人たちの暮しや生活感を知ると、それまでのっぺりとしていた風景が深みを持ち、美しさや醜さだけでない意味を持ちはじめる。そこに「営み」を感じたとき、はじめてぼくの心に焼きつくのだ。
 ジーンは「もっと、ここにいろよ」といった。うれしかったが、ゴールのビーバーはまだまだ先だし、夜の冷え込みは日ごとにきつくなってきている。「行くよ」というと、ジーンは少し寂しげな顔をした。
 彼に朝顔の模様が入った手ぬぐいを渡す。ほんのお礼の気持ちだ。舟に乗って、後ろを振り返ると、土手の上でジーンが大きく手を振り、奇声を上げた。
 「イヤッホー!」
 ありがとう。ジーン。
 川は、結構な速さで流れていたが、向かい風が強くなる一方だった。流れの芯を探して漕いでいると、いつの間にかコンとはぐれてしまった。
 三時間ほど下ると、中州の向こうに人口三〇〇人の集落が見えてきた。村はお互いの家を支え合うように密集している。中心には三角屋根の小さな教会が見えている。川沿いの道に立っている老人が手を振った。
 一七日ぶりの文明、オールド・クロウだ。

ykn053.jpg 村は、川から一〇メートルほど高くなった土手の上にあった。歩くと砂利が崩れるほど急勾配な土手を上がり、教会の前に出るとそこがキャンプ場になっていた。といっても、テーブルがふたつと焚火場がひとつあるだけの小さいもので、誰もいなかった。
 荷物を上げて、テントを張っていると、中年の肉付きのいい男とまるで日本人のような顔をした男が話しかけてきた。太った男は、口に火傷を負っているのか、舌と唇がくっついたようにうまく話せなかった。しかし、その男は話好きで、どうしてもぼくに魚を食わせたいという。もう、ぼくは、自分の体が魚臭いのではと思えるくらい魚を食べて飽き飽きしている。「明日、是非!」といって断った。ぼくは肉が食いたいのだ。しかし、ストアーは既に閉まっている時間だ。もうひとりの男にレストランはないかと聞いてみた。
 「ストアーの向こうにハンバーガー屋ならあるよ。玄関に花を植えてあるからすぐに分かる」
 「へえ。いくらくらいするの?」
 「一〇ドルくらいかな」
 「高けえ!」
 そうはいったものの、長い間自分がつくったものばかり食べていたためか、無性に出来合いものが食べたい。テントを張り終わると、ぼくは散策がてらにその店へ行ってみることにした。
 オールド・クロウは、外へ出る道がない陸の孤島だった。村には、川に平行して三本の通りがあり、それをつなぐように縦の道が通っていた。歩いても二〇分もあれば一周できるだろう。道は未舗装で、車はほとんど走っておらず、そのかわりに4ホイラーという日本でいうバギーが村の主要交通手段のようだ。家の一軒一軒が寄り添うように建っていて、共同生活が染み渡っている昔ながらのインディアン村というぼくのイメージにぴったりだった。店は二軒の小さなストアーがあるだけだ。郵便局と銀行は、ノーザンというストアーの中にあるらしい。ユース・センターからは、ラップの音楽がこぼれ、一〇代のグイチンたちがペプシを飲みながら玉突きに興じ、階段でたむろしていた。陸の孤島に暮す彼らの楽しみはなんなのだろう。少数民族としてのグイチンの生活をどんなふうに思っているのだろうか。
 しかし、今のぼくにとって一番興味深いのは、自分の腹をいかに満腹にするかだった。店の前に植えられた花を探す。すると、さっきその店のことを教えてくれた男が道の脇に立っていた。
 「よお。また会ったね。さっき教えてくれた店を探してるんだけどどこかな?確かこのへんだったよね」
 「ここさ」と、その男は後ろの家を指差した。足元には花が植えられている。
 やられた!
 それは彼の店だった。男は笑いながらぼくを店の中に招き入れた。
 「まったく、おれをだましたってわけか!」
 と文句をいいながら、ぼくはまだ芯まで温まっていない冷凍ハンバーガーに食らいついた。まったく、お見事だ。これがグイチン式客込み方ってもんか!
 テントに戻ると、コンがテントを張っているところだった。ジーンのところを出てから舟の上で寝てしまったらしい。ハンバーガーの件を話すと笑われてしまった。
 寝る前にコーヒーを沸かしていると、雨が降ってきた。テントに逃げ込んで、寝袋に入る。オレンジ色の街灯が、テントの壁を抜けて鈍く光っていた。
 その夜だった。もう、すっかり暗くなる時間ができていた。誰かがテントを揺らし、声を殺しながらぼくを起こした。
 「起きろ!起きろ!」
 「誰だ!こんな夜中に!」
 「リチャードだ」
 リチャード?ああ、上流で銃を撃たせてもらった男と一緒にいたやつだ。リチャードはつづけた。
 「酒があるんだ。飲みに行こうぜ」
 「おれは眠いんだよ。こんな遅い時間に来んな!」
 「いいから来いよ。女がトモを連れて来いっていうんだ。頼むから来てくれ!」
 テントのジッパーを開けたのが間違いだった。ぼくは、ホンダの赤い4ホイラーに乗せられてその女の家へ連れていかれた。しかし、ぼくは、リチャードにしがみつきながら、すでに後悔しはじめていた。なにか、怪しいニオイがする。それに、ここは飲酒を禁止しているドライの町だ。
 女の家に着くと、リチャードが戸を叩いたが、女はなかなか出てこなかった。いくらドアを叩いて唸っても出てこない。ぼくが「おれ、戻って寝る」といってポーチの階段を降りようとしたとき、ようやくドアが開いた。闇の中から出てきたのは、ちょっと戸惑うくらい脂肪のいきとどいた四〇代の女だった。ぼくの後悔は現実味を帯びてきた。
 そして、奇妙だったのは、それからだ。中に入ると広いリビングになっていたが、そこには家具がひとつもなかった。ガランとした空間の真中に黒いストーブが置かれ、備え付けのキッチンが、ひとつだけ点けられた電球の明りにあたって黄色く浮かんでいるだけだ。あとは三つある部屋のドアが開けっぱなしになっていて、そのうちのベッドがある一室だけに明りがともっている。窓際に置かれたラジカセからは、趣味の悪い甘いムード・ミュージックが流れていた。生活感の全くない家だった。女はキッチンのボードからウイスキーのボトルを大事そうに取り出し、グラスに少しだけ注いで、ぼくに渡した。
 なにか、臭う。
 「なんで、家具がひとつもないんだ?」
 「引っ越してきたばかりなのよ」 
 と、取って付けたように女はいった。それにしても、荷物自体が全くない。ぼくは、ここで飲まない方が身のためだと直感した。そして、なんとか早いところ逃げ出して、テントに戻って寝てしまおうと決めた。酒も飲むふりだけにした。
 ぼくは、床に座って壁にもたれた。すると、女はぼくの隣にピタリと座り、ぼくの視界に彼女しか見えなくなるくらい顔を近づけてしゃべった。これには、まいった。ぼくは、その度に身をよじって逃げなければならない。リチャードがいった。
 「トモ。この女は長いこと男と踊ってないんだ。踊ってやれよ」
 まったく、迷惑な話だ。「踊りは下手なんだ」とこれまた下手なかわし方をする。女はいった。
 「一緒にいた男が外国に行っちゃってね。そいつが残した金で暮らしてんのよ」
 体をぼくにすりよせてくるので、あからさまにイヤな顔をしてやった。どうやら、この女はぼくをうまくとり込もうとしているようだ。ぼくのような文無しに目をつけるなんてついてない女だ。そうと分かったら、ますます早くここを出なければならない。
 「悪いが今日は疲れてるんだ。眠くて仕方がないから帰らせてもらうよ。リチャード、誘ってくれてありがとう。あなた(女)もね。楽しかったよ。今度は昼間にお会いたいね」
 自分としてはできるだけにこやかに屈託のないしゃべり方でいったつもりだった。しかし、リチャードは怒り出した。こっちだって迷惑な話だ。ぼくは、「歩いて帰る」といって、おかまいなしに女の家を出た。時計を見ると午前三時だった。村は静まり返っていて、四つしかない街灯のオレンジ色の光が寒さをきわだたせていた。
 テントに戻り、寝袋に入っても一度冷たくなった体はなかなか暖まらない。あの出来事がこの村の全てではないと分かっていても、ここが嫌いになりそうだった。明日にでも出てしまおうか。と思いながら眠りに落ちていった。まったく、とんだ初日だった。
 翌日、ノーザンに買い物にいく。単なる食料の買出しとはいえ、旅先での買い物はやはり楽しい。牛肉、たまご、ベーコン、牛乳、パンなどの食料に加え、ジップロックやアルミホイールなどの雑貨も買う。ジップロックは、米やパスタ、ベーコンや肉、それに切り身にした魚などを入れておくのに便利だ。しかし、物価はハイウェイの通っている町よりも高かった。
 テントに戻り、久しぶりの牛乳を飲んでいると、中年の男が話しかけてきた。
 「日本人かい?去年、おれのところに三五歳の日本人が泊ったぞ。明日にでも写真を見せてやるよ」
 男はピーターといった。オールド・クロウのロゴが入った赤いキャップをかぶり、丸顔でひとあたりのいい表情を持つ彼の目は子犬のようにつぶらでかわいい。彼は、上流のドリフトウッド・リバーの流れ込みにあるキャビンは自分のものだといった。そこは、たまたまぼくが覗いたキャビンで、屋根は崩れ落ちて人など住めるような状況ではなかった。
 「そうなんだ。だから、新しいキャビンを建てて、川を下って来る人を相手に夏の間だけレストランをやるのさ」
 「そりゃ売れるかもな。ユーコン川で同じようなことをやっている家族を見たよ。でも、あまり格好つけたものを出さずに、この辺りで獲れるカリブーやムースの肉を出した方がうけると思うよ」
 というと、ピーターは「なるほどなあ」と感心していた。いつまで村にいるのかと聞かれ、分からないと答えると、彼は来週の月曜日から三日間、村の上流でジェネラル・アッセンブリー(G.A)があると教えてくれた。これは、オールド・クロウの住民に限らず誰でも自由に参加して、先住民の暮しやすい地域づくりを考える集会らしい。この土地で何が起こっているのかを知るにはとてもいい機会だ。是非、見てみたい。しかし、G.Aがはじまるまで、まだ一週間ちかくある。どんどん秋に染まっていく季節の中で、一週間というのは、極北のカナダ北部では寒くなるのに充分すぎる気もする。
 そして、もうひとつ。オールド・クロウに来て四日目から三日間、第一三回グイチン・ギャザリングが開かれた。これは、町をあげてのお祭りだ。本当にいいタイミングに来た。そして、朝には、無料で朝食が振舞われることになっていた。ぼくのような文無しの旅人にはありがたい。
 その日の朝、八時。コンは興味ないと寝込んでいたが、ぼくは村の中心にあるコミュニティー・ホールへいそいそと出かけた。すると、中では村の人たちが入れ替わり立ち代り折り畳みのテーブルについて朝食をとっていた。パン・ケーキとポテト、スクランブル・エッグ、ソーセージが出された。
 隣りに居合せたレンジャーの赤い帽子をかぶった男と話をする。彼はステーブンといい、写真家の星野道夫を知っていた。
 「彼が死んだあの年、カムチャッカから戻ってきたら一緒にブッシュにいくことになっていたんだ。まったく、あんなことになるなんてな」
 他の人からもミチオの名前は何度も聞いた。ここの学校には彼の写真があったらしいが、残念ながら去年、校舎が火事で焼失してしまったという。
 ぼくは、星野さんの写真が大好きだ。彼の写真は、生命力に溢れ、広がりがある。ただ上手いだけじゃない。容赦のないリアリズムで見ている人を引き込んでしまう。ホワイトホースの書店でも星野さんの写真集が置かれていた。日本の写真界、文学界の中でアラスカについての第一人者だったのではないだろうか。いまだに彼を慕ってアラスカを訪れる日本人が後を絶たないという。ぼくもある意味ではそのひとりだ。それだけに、星野さんがクマに食べられて死んだというニュースは衝撃的だった。
 食事をとって、コーヒーを飲んでいると向かえに座っていた女性が話しかけてきた。
 「川を下っているひとでしょ?」
 「ええ」
 「シャワーは浴びたの?」
 「いいえ」
 「わたし、山火事のレンジャーをしてるんだけど、シーズンも終わって二日前に事務所をしめたばかりなの。まだ、タンクに水がたくさん入ってるから、よかったらシャワー使ってもいいわよ」
 願ってもない申し出だ。シャワーなんてイヌビクのキャンプ場以来浴びていない。テントに戻ると、彼女が4ホイラーに乗って迎えに来てくれた。コンも誘ってレンジャーの事務所に行く。彼女はカギを開けっぱなしにして出ていった。久しぶりに風も当たらないフラットな場所で裸になり、暖かいシャワーを浴びる。体を擦ると消しゴムのかすのように垢がボロボロと出てきた。体中の毛穴が開き、皮膚が再生されていくようだった。
 シャワーから上がると、裸足で絨毯の上を歩き、パンツひとつでソファーに座る。まったく文明的なひとときだった。ぼくらは、壁に貼られている山火事の消火現場を撮った写真を眺めながら、ほてった体を適当に冷やしてから外に出た。
 ギャザリングは、町内会の運動会のように和やかな雰囲気の中で行われた。
 まず、ティー・ボイリングというゲームからはじまった。どんなものかと見ていると、よーいドンで木の枝と紙が積まれている場所に走り、マッチで火をおこす。そして、前もって水を入れておいたポットを火にかけ、お茶をつくり、一番速く村の長老たちに飲ませた者が勝ちという、お茶の早沸かし競争だった。これは面白かった。火をおこすというのは、意外とデリケートな作業で、焦って木をかけすぎても消えてしまう。かといって少なすぎてはすぐに燃え尽きる。火を大きくするにも、あまり強く風をかけると消えてしまうし、かけないとなかなか燃え上がらない。万事ほどよくやらなくてはいけない。この日はいやらしい風が吹いていたが、さすが、ブッシュでの生活に慣れているグイチンたちは、素早く火をつけてみせた。これを日本でやったら面白そうだ。一時間たっても火がつけられない人も出てくるのではないだろうか。このゲームは、川の上流でぼくにポーキュパインを食べさせてくれたお父さんが優勝した。
 それからの三日間、おんぶ競争やふたりのチームでどれだけ離れて生卵を割らずにキャッチボールできるかというエッグ・トス、哺乳瓶でのジュース早飲み競争、ガン・シューティングなど、地味だが、なかなか面白い競技が続いた。全てが緩やかで穏やか。スケジュールはあまり当てにならない。時間が遅れるのはあたりまえで、遅れて出来ないものは次の日回し、あるいは割愛する。それに文句をつける人もいない。それが、分単位で時間に束縛されて生きている日本人には面白く、新鮮でさえあった。ここの時間単位は一分でも一時間でもなく、一日、あるいはワンシーズンなのだ。それは川下りをしているぼくにもしっくり来る感覚だった。
 ぼくは、G.Aも見ていくことにした。今度はいつ来られるかも分からないところだ。焦って下ることもないだろう。のんびりするときはとことんのんびりしよう。
 ゲーム見物に飽きると、ぼくはキャンプ場に戻って本を読んだ。そうしていると、誰かが話をしにやってくるのだ。
 ピーターが、カリブーの肉を差し入れに持ってきてくれた。酒に誘われた夜の出来事を話すと彼はいった。
 オールド・クロウはドライの村だが、みんな隠れてブルーという自家製のドブロクをつくって飲んでいるという。しかし、それがRCMP(警察)にみつかると一週間牢屋にぶちこまれる。ひどいやつになると遥かエドモントンにある病院まで送られてしまうという。しばらくして戻ってくると、その反動でまた飲みはじめる。それを強制的に禁止すると、最後にはヘアー・トニックやヘアー・スプレーまで飲んでしまうらしい。だから、全く効き目がないのだという。ひどい話だ。いっそう、禁酒を解いてみたらどうだろう。人は、禁ぜられると犯したくなるものだ。しかし、彼らが酔うとなにをしでかすか分からないのも確かだ。彼らには、酒を造る習慣がなかった。狩猟民族である彼らは、酒を作る原料を持っていなかったし、酒を発酵させるにも気候が寒すぎたのだ。飲酒の歴史を持っていなかった民族の当然な反応なのかもしれない。
 短い夏は、建物の修理や新しい学校の建築など、曜日に関係なく仕事に追われる人も多く、なかなかギャザリングに参加できないひとも多かった。しかし、二日目の夕方は違った。時間に鈍い彼らも、このときだけは間違いなく予定どおり会場に顔をそろえた。
 ビンゴだ。みんなビンゴ・カードのマスを塗りつぶす専用極太マーカーを持って、三〇ドルの勝ち金をとるために真剣だ。このときばかりは、子供たちは締め出された。泣いて会場に飛び込んでくる子も一瞬にして泣き止んでしまう。そんな緊張感が張り詰めている。数少ない大人の娯楽なのだろう。そして、最後のゲームがきた。賞金一〇〇〇ドルを賭けたビックゲームだ。カードを買っていないぼくまで緊張してしまう。背の低いショートカットのおばさんが、ゆっくりと番号を読み上げていく。その度に、みんなの右手が動く。その動作が何回も繰り返される。そして、いままで聞こえていた囁き声もなくなったとき、
 「ビンゴ!」
 壁に向かって頭を垂れていた女性が右手を上げた。カウンターにもたれていた係員の男が歩きながら現金を数えて彼女に賞金一〇〇〇ドルを渡す。まわりの人は拍手もせずに会場を出ていってしまった。彼女は賞金をなにに使うのだろう。そして、みんなはなにに使うつもりだったのだろう。村を上げての大人の一大イベントは終わった。会場は、再び子供たちで溢れ返った。
 夜はダンス・パーティーが行われた。一段高くなった舞台にバイオリン、ギター、ベースが並び、カントリーの曲を引きはじめると、若い夫婦、老夫婦、恋人同士、友達同士、父と娘、祖母と孫、みんな入り混じって踊り出した。そして、ぼくの隣りに座っていた皺だらけで頑固そうなオヤジが、すくっと立ち上がった。彼は、まっすぐホールを横切ってお目当ての女性のところへ行き、目で合図する。すると彼よりずっと若いその女性はゆっくりと立ちあがり、オヤジはその女性をやさしく抱いて踊りだした。頑固オヤジの顔は豹変し、優しさに満ちている。これが紳士というものか。
 そして、チキン・コンテスト。男女二組のカップルが早弾きの音楽に合わせてお互いに向かい合い、鶏のように足だけを小刻みに動かして踊り競う。女の子よりは男の方が注目されるらしく、踊り手が大きく飛び跳ねると観衆から歓声が上がる。それが終わると、そのままスクエアー・ダンスへと流れ込んだ。これは男女交互に大きな円をつくってグルグルまわりながら踊るもので、速く、長いのが特徴だ。ぼくは、どこで回ってどこで次のひとに移るのか、最後まで理解できなかった。みんな汗だくになって踊っていた。
 三日目の夜、チーフの挨拶があり、各ゲームの表彰式が行われ、民族の祭典は終わった。
 そして、次の日からG.Aがはじまった。集会は、トゥロ・クットという村の郊外で行われることになっていた。会場までは道がないので村からボートが出された。
 町の人々を乗せたボートは、いまにも降り出しそうな雨雲の下を会場へ飛ばしてゆく。森を貫く冷気が体に吹き込んでヒリヒリと肌を刺す。一〇分ほど川を遡ると左手にオレンジ色のビニール・シートをかぶったテントが見えてきた。そこがトゥロ・クットだった。
 会場は、会議用の大きなテントと食堂を中心に寝泊り用のテントが何棟か建っていて、五人の男女が薪を割ったり、食事を作ったり、すでに準備をはじめていた。
 つづいてチーフを乗せたボートがやってきた。彼の存在感は凄かった。年は、三〇から三五くらいだろう。チーフとしては若いと思う。しかし、彼はその貫禄を充分備えていた。肉づきのいい丸顔で、なにかを見据えたような鋭い目ときりりとしまった口元が彼全体を引き締めてシャープに見せている。そして、いつも背筋を伸ばして、体格以上に体が大きく見える。それら全ては、チーフとしての自信からきているものだとひと目で分かった。
 そして、小麦粉とイーストを練って丸く焼いたバーニック(インデイアン・ブレッド)とムースのスープが昼食に出た後、ミーティングが始まった。
 会議用のテントは、屋根だけで壁はなく、中央で火が焚かれていた。イヌビクからは、先住民の土地問題の運動家や政府関係者らしい人物もやって来た。雨が降り出した中、会議はチーフの挨拶ではじまった。
 ミーティングは、行政を中心に議論された。難しい専門用語が飛び交い、ぼくには内容の半分も理解できなかった。しかし、少数民族が持つ危機感と政府への不満というものはひしひしと感じ取れた。
彼らは、このアメリカ大陸の先住民だ。人々からは、nativeあるいはfirst nationと呼ばれている。カナダという国が建国されるずっと以前から、ここで狩猟生活をして独自の文化を作り上げてきた。キャンプでサケをご馳走してくれたジョージがいっていた。昔、グイチンはユーコンを「backyard」と呼んでいたと。つまり、彼らにとって、この大地は知り尽くした「裏庭」だったのだ。
しかし、新大陸発見から始まった白人の歴史の中で、彼らは、土地を奪われ、国が行なった同化政策によって言葉をなくし、物質主義の波が彼らに降りかかった。現代に入って、国もこの問題について土地の返還や生活の保証などの対処はしてきたが、まだまだ、問題は多い。若者たちは、独自の言語がしゃべれず、村の長老たちとは会話ができないでいる。
人は、自分が根ざす文化を大切にする。なぜなら、そこに身を置いているだけで、余計なことを気にせず安心して暮らせるからだ。そこで暮らす人々は、みんな共通の言葉、こうすればこうなるという生活習慣を持っている。それが文化だ。
ぼくは、この集まりは、自分の文化を取り上げられた彼らの不満を訴え、その打開策を考える場なのかと思っていた。しかし、それは違っていた。彼らは、虐げられた歴史を嘆いて、奪われたものを「返せ」と怒鳴り散らすだけではなかった。民族的かつ経済的によい方向に進めるための政策を打ちだそうと模索している。自分たちの手で、彼らの伝統も取り込みつつ新しい形を作ろうとしているのだ。たしかに、彼らに残された道は「変化しつつ残っていく」ことしかない。ぼくは、その前向きな姿勢に希望を感じた。
 と、同時に、その影で確実に消えてしまうものへの愛おしさを覚えてしまう。
 変わっていくもの。消えていくもの。
 変わってしまうもの…。失ってはいけなかったもの…。
 ぼくは、たんなる感傷的な旅人にしか過ぎない。しかし、少数は多数に飲み込まれずに生きていけるのだろうか。そんな疑問が心に湧いて消すことが出来ない。
 午後六時になり、ミーティングが終わる頃には体が冷え切っていた。食堂では、ムースのステーキとスープ、ポテトサラダなどが振舞われた。美味かったが、冷え切った体は暖まり切らない。
 その晩は、村へ戻るボートで一緒になった女性が、寒がっているぼくらを哀れんで、彼女の家に泊めてくれた。
 翌日は、風が強く曇っていた。体感温度は一〇度もない。震えながらテントに戻るとジョージが通りかかった。「寒いな」と愚痴ると彼はいった。
 「季節のかわり目だからね。九月に入ると、これがまた暖かくなる。草木が紅葉して日中はとても穏やかで暖かい日になる。インディアン・サマー(小春日和)ってやつだ。その代わり、朝晩はグッと冷え込むぞ」
 彼のキャンプでは、いま、一日に一〇から二〇匹のチャムが上がっているという。「もうすぐピークがくる。そうすれば、一日で一〇〇匹は獲れる!」と嘘とも本当ともとれないことをいってぼくをからかう。
 ぼくは、今日、出発しようと思っていたのだが、一日のばすことにした。こうも寒いと何もする気にならない。しかし、コンはその日に出発した。
 「おれも今日出るのは止めようと思ったけど、そうしていると、いつまでたっても出れなくなる気がしてね」
 たしかに、それはいえる。オールド・クロウに来て、既に八日もたっているのだ。
 昼過ぎ、彼を乗せたカヌーは、強い流れに乗るとあっという間に見えなくなってしまった。また、どこかで会うだろう。
 寒いのでテントにこもり、本をむさぼり読む。何時間かたったとき、「トモ」と呼ぶ声がした。ジッパーを開けるとキャンプ場のすぐ横に住んでいるピーター(カリブーの肉を持ってきた男とは違う人物)がいた。
 「寒いだろう。薪を持ってきたんだ。焚火しようぜ」
 ここのキャンプ場は、焚火場があっても薪がなかった。ピーターは、もう薪を積み上げていてくれた。薪に火をつけていると、今度は道を挟んだ向かいの家から白人の女の子が出てきて「まって!まって!」と叫びながら走ってきた。
 「火なんかおこす必要ないわ。うちに来てよ。食べ物もあるわよン」
 急にモテだしたのは何故だろう。もっと早く誘ってくれよ。ぼくは明日出るんだぞ。
 ぼくは、女の子の誘いも捨てがたかったが、わざわざ薪を持ってきてくれたピーターを振切る気にもなれなかった。泣く泣く彼女の誘いを断った。ピーターは意味ありげに「いいのか?行かなくて」とニヤニヤ笑った。
 ピーターはぼくと同じ三〇歳で、奥さんとかわいい子供が二人いる。しかし、結婚は来年だという。子供たちは、丸顔にぺちゃんこの鼻、小さな目をしていてピーターにそっくりだった。
 それから、ぼくは彼の家へ行き、食事をして映画を見た。テロリストがショッピング街を占拠して莫大な身代金を要求する。そこへ軍隊あがりの男がひとりで乗り込んでいくという典型的なアクション映画だった。子供も見ているので、エッチなシーンをピーターが早回しするのが可笑しかった。映画が終わってテントに戻るとき、女の子の方へ行けばよかったかなと、少し後悔した。
 翌朝、寒いので、テントの中で朝食をとっていると肉を持ってきてくれたほうのピーターがぼくを呼びに来た。昨日、彼に会ったとき、出発前に食事をご馳走してくれる約束をしたのだ。
 彼の家はジェネレーション・ストアーの裏手にあった。シンプルでとてもいい家だ。政府が建ててくれたのだという。政府は土地問題の代償に彼らの住宅を保証している。それにはストーブやクッカーも付いていた。「洗濯機もくれるといっていたが一〇年たってもまだ来ない」とピーターは笑った。渡し木には無数のマグカップと空の卵ケースが並べられている。彼は、エディスという年をとった姪と住んでいた。彼女は細身で、深い皺のある顔からは温厚な性格がにじみ出ていた。エディスは、野生動物の知識に長けているらしく、壁には彼女を載せた新聞の記事がたくさん切りばりされていた。ピーターはコーヒーを入れながらいった。
 「今日のG.Aが終わると、みんないっせいに冬の仕度で忙しくなる。おれもベル・リバーに狩りに行く」
 彼はぼくのためにベーコンエッグとトーストを焼いてくれた。そして、サーモン・ストラップ(サケの燻製)とカリブーのドライ・ミートを袋に入れて持たせてくれた。
 「おれも今度、ポーキュパインをカヌーで下ってみるぞ」
 と、ピーターは力を込めていった。
 「そりゃいい。ユーコンやマッケンジーを下ったとき、いろんなやつに会ったが、ネイティブのパドラーには一度も会ったことがない。ピーターはこの土地で育ったんだからポーキュパインのことはなんでも知っているだろう。ゆっくり下って、ガイドブックでもつくったらいいのができるんじゃないかな。本の名前は『First Nation Paddler』ってのはどうだ?」
 「それ、いいな!かっこいいじゃないか」
 彼が本当にやる気かは分からないが、別れ際にはそんな軽い会話が心地いい。家を出るとき、村の記念にと野球チームの青いキャップをくれた。本当に親切な男だ。ありがとう。
 テントに戻り、パッキングする。九日ぶりに舟を川に浮かべ、ふわふわと揺れる船体を見ていると川へ出る興奮がよみがえってくる。
 荷物を河原に降ろしていると、通りがかるみんなが「そんなにたくさんの荷物が積めるのか?」と聞いてくる。
 「手品みたいなもんさ!」
 と叫んで、調子にのってどんどん積み込んでゆくと、感心したような呆れたようなどよめきが背後から聞こえてくる。そこに、再びピーターがやって来て「持ってけ」といって取りたてのホワイトフィッシュをくれた。彼には世話になりっぱなしだった。本当にありがとう。ぼくは、胸が熱くなった。
 すっかり準備も終わり、岸を離れるときにはまわりに誰もいなくなっていた。みんな日常に戻るのだ。舟に乗り、パドルで数回水面を掻くと、速い流れに乗ってオールド・クロウはグングンと小さくなった。久しぶりの舟はふわふわとどこかぎこちなく、それでいて心地いい。ここからアラスカのフォート・ユーコンまでの約四七〇キロの間町はない。原野の風がぼくの旅心を刺激する。
 勢いよく流れていた川も、オールド・クロウが見えなくなる頃には、再び緩やかな流れになった。村を出て二回蛇行した川のアウトコースにデニスのキャンプがあると聞いていた。行ってみると、白い煙が上がっていたのですぐに分かった。キャンプには、オレゴンから遊びに来ているスティーブと奥さんのマーティーがいた。デニスは仕事でドーソンへ行っているらしい。マーティーが紅茶と手作りケーキを出してくれた。それを食べながら、キャビンから見える景色を見て、ぼくは浦島太郎の気分を味わった。対岸に広がる森が、いたるところで赤や黄色に色づきはじめていたのだ。スティーブは「毎日、色がかわっていくよ」と静かにいった。なんてこった。ぼくが村にいる間に、大地は着々と冬への道を歩んでいたのだ。その景色は、秋というより、冬が近いという様相が強い。マーティーが「心配だわ。雪が降らなきゃいいけど」と真剣にいう。まったくだ。
 一時間ほどゆっくりしてからキャンプを出ると、川の上では強風が吹き出した。川の水は、オールド・クロウのすぐ上流で流れ込んでいるオールド・クロウ・リバーの水が入ってから茶色く濁ってしまった。そして、風で川面が波立つと、どこが浅くてどこが深いのか分かりづらくなる。ぼくは、何度か川の真中で浅瀬に乗り上げてしまった。それにしても寒い。手の感触が麻痺してくる。
 日もかなり傾いた午後八時ころ、左岸から煙が上がっているのを見つけた。近づいてみるとコンだった。彼はここに連泊してひたすらサーモンを狙っていたらしい。しかし、釣れるのはパイクばかりだという。時間も遅いし寒くなってきたので、コンと一緒にキャンプしようかとも思ったが、あともう少しでブルーフィッシュ・リバーの流れ込みにさしかかるはずだった。そこにはスティーブのキャビンがり、自由に使っていいといわれていたのだ。少し迷ったが、ぼくは行くことにした。今夜は冷え込みそうだ。暖かいキャビンで眠りたい。コンからウイスキーとリキュールを一口づつ飲ませてもらい、暖をとってから岸を離れた。
 太陽が山裾に隠れると風が止み、川は凪いだ。大地も川も大空も、薄紫色の中に沈んでいる。パドルを水に刺しただけで、確実に前進する。ぴーんと音が聞こえてきそうな静けさが冷気を貫いてぼくの中に入ってくる。小一時間ほど漕いで、ようやくブルーフィッシュに出た。
 流れ込みの対岸には三つキャビンがあった。その中で、一番奥に建っているのがスティーブたちのキャビンのはずだ。獣道のような細い道を歩いていくと、小さなキャビンが現れた。ドアには人魚の絵があり、スティーブ&マーティーと絵文字で描かれている。その人魚はデニスのキャンプでマーティーが見せてくれた絵と同じものだった。キャビンは四坪ほどの小さなもので、入り口の上にはカリブーの角が掲げられていた。中は、床板がなく土が剥き出しで、窓がふたつ、ベッドがふたつ、ドラム缶を半分に切ってつくったストーブが置かれているきりだ。壁や天井にはここに泊った人たちのサインが書かれていた。どれもグイチンの人らしく、日付はほとんど冬だ。みんなトラッピングの最中に立ち寄るらしい。非難小屋といったところか。極寒の冬を越すにはこれくらいの大きさがいいのかもしれない。
 荷物を全部運び込むんだころには、外はほとんど暗くなっていた。午後一〇時、確実に夜は膨張している。
 薪を割って、ストーブに火を入れる。刻んだ玉ねぎをミンチと炒め、ケチャップをかけてトーストで挟んで食べる。明りは、置いてあった極太のローソクが一本だけだ。ストーブの釜口から漏れるオレンジ色の火を見詰めていると、何故か落ち着いた。
 キャビンの外は満月だった。森は闇に沈んで静まり返っている。土手の侵食で川に倒れかけているスプルースの枝が、水面に触れてつくるさざなみに月明かりを映してキラキラひかる。そんな眺めの中で、正面に流れ込んでくるブルーフィッシュ・リバーは艶やかな紺碧色に浮かび上がっている。
 ぼくは、ぼうっと月を眺めていた。月というより、月の色を見ていた。空を流れる青みがかった雲が気まぐれに月にかかり、すりガラスの向こうにものをみているように輪郭をぼかす。ぼくは、月が好きだ。物静かで、思案深く、影があって美しい。太陽はエネルギーをくれるが、月は優しさをくれる。太陽は万人に降るが、月はぼくだけを照らす。そんな気がする。キャビンの近くでフクロウが二羽鳴きだした。その声は闇の静寂を壊すのではなく、むしろ静けさを際立たせた。ぼくは、切り立った崖の上で月明かりを浴び、満たされていた。
 夜が明けて、目が覚めたのは午前一〇時をまわっていた。ストーブに火を入れて寝たので、一晩中寝袋がいらないほど暖かかった。外は、久しぶりの快晴だ。風もなく暖かかったが、その日射しにはどこか柔らかいものがあり、夏とは違った秋の気配が漂っている。漕ぐにもいい日だったし、漕がないにもいい日だった。ぼくは、もう一日ここにいることにした。
 川を眺める。本を読む。ぼんやりと考える。それが膨らむ。考え込む。思考が交錯する。
 ぼくが、旅のライターになると決めたのは、五年前だった。そして、まだ、それを達成できずにいる。金を貯め、旅をして、それを書く。そして、公募に出したり知人の紹介で出版のひとに見てもらう。しかし、ぼくは、本当にこれに賭けているのだろうか。帰国してからの仕事口。これからどうなっていくかという掴みどころのない不安。それを抱えて、今のぼくは、生活をしながら書いている。しかし、ぼくが望んでいるのはこんな状況ではない。生活しながら書くのではなく、書くことで生活できるようになりたいのだ。ぼくは、この目標の途上で、それ自体に慣れてしまっているような気がする。しかし、違うんだ。ぼくは、ただ、漂うのではなく、何かを生み出したいのだ。体の奥で何かが溶け、何かが湧き、ぼくを高揚させる。情熱。ぼくは、それをキャビンの壁に書きなぐり、自分に誓った。
 ぼくは、必ず作家になる!
 一生、書きつづけてやる!
 外に出た。すると、内にこもっていた感情があまりにも広い空間におっぽり出されて、掴みどころがなく途方にくれる。ただ、現実ばなれした広がりが目の前にあるという莫大さ。ここがアラスカへ、いや国境なんて重要じゃない、ベーリング海までつづいているという果てしない事実。ぼくは、巨大で無形なものの中に埋もれているのだ。そして、ゆっくりと進むしかない。
 翌朝、ベーコンをパンに挟んでケチャップをかけて食べる。最近、このケチャップのような濃い味のものを食べないと食った気がしない。これで、パンは食い尽くしたので、昼用にパンケーキを焼いて、アルミに包んだ。
 昼前にブルーフィッシュを出発。空は曇っていたが、川は凪いで、快適なスピードで流れていた。やがて、激しく蛇行した流れは、断崖に囲まれたランパーツと呼ばれる地域に入った。ここからは、国境までの約四〇キロがほぼ直線になり、谷底に集まった風がまとまってぼくにぶつかってきた。流れは飛沫を上げて舟の上に這い上がってくる。レイン・ウエアーを着ておいてよかった。ぼくは、水流と水流がぶつかってできた流れのない部分に沿って漕いだ。パドルを止めると風でその場に止まってしまうが、漕いでいればそこそこ進む。
 ランパーツの断崖は巨人の足の裏を見ているようだった。地層の深い溝が、三〇メートルもの高さで激しく湾曲し、指紋のように見える。その中には、恐竜の背骨と思えるようなものもある。いつか、恐竜の骨を完全な形で発掘できたら億万長者になれるという話を聞いたことがある。ぼくは、そいつをなんとか掘り起こそうとも考えたが、そんなことをする道具もないし、運び出す大きな船もない。第一、岸に上がることすら面倒臭いのだ。そう思っているうちに舟はどんどん流されていった。
 長い断崖には、時折、切り立ったV字型の谷が現れる。たいがい、その谷底からは無数の足跡が河原に下りてきて、川を渡って、対岸のブッシュに消えていた。きっとカリブーの群れが南下していったのだろう。群れでなければ、あんなに太くはっきりと帯状に跡がつくはずがない。
 午後五時ごろ、狭かった断崖が開けて、右手にランパート・ハウスという小さな村が見えてきた。ここは、長い間ゴーストタウンになっていたが、現在は、民族資料的な意味合いで修復されている最中だった。高台の緩やかな斜面にあった村は、生え放題の草むらの中に修復に使う木材が並べられ、村で一番大きい建物だったストアーにはオレンジ色のビニールシートがかけられていた。村の上には修復作業をしている大工たちが白いテントを三つ張っている。村へ上がっていき、大工の連中に挨拶すると「悪いがこれから飯なんだ。ハラペコでね」といって、食堂に入ってしまった。ぼくも食事に誘ってくれないかと思ったが、それはかなわなかった。勝手に見てまわることにする。
 村の真中には沢が流れていた。反対側に行くと、そちらはまだ荒れ放題で手がつけられていなかった。キャビンが三軒あったが、どれも屋根がなかったり、壁がくずれたりしている。そのうちの一番大きな家に入ると、長さが二メートル近くある立派なストーブが建物の真中にあり、それだけが朽ちることなく残っていた。中を覗くと一〇〇年かけて溜まった砂が固まっていた。このストーブはここに暮す人たちに触れられ、使い込まれてきたのだ。そう思うと、いとおしくも恐ろしくも思えた。
 ここから見える川は、西日を浴びながら大きな中州を回って、狭い谷の間へ流れ込んでいた。あの中州の向こうはアラスカだ。
 ぼくは、再び流れに乗って、ついに国境を越えた。風にひるがえる木の葉、湧きあがる川面、そして、白い雲を浮かべる空、全てが太陽で輝いていた。目を細めながら乱反射する川面を漕いでいると「よくきたな」とアラスカがいっているようだ。なにか特別なことがあったわけでもないのに、アラスカに入ったことで、ぼくは新しい気分になっていた。ぼくは、向かい風の中を力いっぱい漕いだ。
 国境から二〇キロ近く下ったところで、広い河原に上がった。上流を振り返ると、何キロも離れた谷底までよく見える。風が吹いたら荒れそうだ。そして、吹きそうだった。ごろた石の合間に適当な場所を見つけてテントを張り、火を起こす。しばらくして、雨が降りはじめた。炊いたばかりのご飯と温まった缶詰を抱えてテントに逃げ込む。すると、何かが変わった。一部ではない、全体が変わるのを感じた。目がおかしくなったのか?テントを飛び出した。そして、ぼくは壮絶な現象を目にした。
 北に連なる稜線の向こうに鮮烈な赤が玉となって空を焦がしていた。それどころか、テントも河原も川も対岸の崖も、全てを赤く染め抜いている。そして、南側を流れる川の上を見ると太い虹が二本柱のように立っていた。ぼくは、その強烈な光景に驚き、よろけた。火事か?いや、違う。オーロラか?圧倒的な赤の世界はぼくを狼狽させるばかりだった。
 やがて、それは一〇分もしないうちに色あせ、闇へと変わっていった。結局、それは夕焼けだったのだが、見れば見るほど炎が燃えているようだった。その場に立ち尽くしていたぼくはずぶ濡れになってしまった。
 その晩、川の上はランパーツを抜けてきた風が吹き荒れ、夜通しテントのフライシートを16ビートで叩き、フレームはきしみ、ぼくを眠らせないまま朝になってしまった。そして、寒い。上はシャツ、トレーナー、フリース。下はパッチ、フリースを着て寝袋に入っていたのだが、寒さでじっとしていられなかった。
 朝、八時過ぎ、フライ・シートに当たる雨音が硬い音に変わったので、外を見てみるとみぞれが横殴りに降っていた。ああ、もう冬が来たのか。「もう、やめてえ!」と叫ぶがそんなものは誰も聞いてはくれない。ぼくは持っている服を全部着て、凍えるような昼下がりに岸を蹴った。 
 それでも、川の上は追い風でグングン進んだ。今回、はじめて毛糸の手袋をする。まさか使うことになるとは思わなかった。
 直線だった川が、再び蛇行しはじめたあたりで下流からモーターボートが遡ってきた。かなり流れの速いところだ。ぼくの方に向かって速度を落としてきたので、舟を寄せる。ボートには、毛糸の帽子をかぶって口髭をはやした白人が乗っていた。
 「日本人か?」
 「ああ」
 「パートナーがすぐ下にいるぞ」
 男がそういったのは聞こえていたが、ぼくは関係のないことを叫んでしまった。
 「サーモンじゃないか!」
 男の足元には二〇匹前後のチャムが転がっていた。男は笑って「ひとつやるか」といい、下あごの張り出した一番立派な雄を無造作に掴み上げた。その雄をビニール袋に入れようともたついていると、船の男はさっさと行ってしまった。「ありがとう!」と叫び、振り返ると、舟が流れに押されて岸に叩きつけられそうになっていた。慌てて舟を漕ぐと、対岸でコンがキャンプしていた。
 岸に上がると、ぼくは開口一番「コーヒーをくれ!」と嘆願した。寒くてしかたがない。コンもさっきの男に雄を一匹もらったという。しかし、
 「あいつの網がすぐそこにあってさ、昨日、でかい雌を一匹拝借したばかりなんだ。はっきりいっていらなかったが、断るわけにもいかないから、もらってしまった」
 という。なかなかやるな。
 ぼくは、もらったサーモンをさばいてジップロックにしまい、昼にラーメンを食べた。コンは、まだパッキングをしていたので先に出る。
 川は谷いっぱいに流れた。森の緑の中に、時折、黄色に染まった木を見つける。それが、やがてまわりに感染し、紅葉が広がっていくのだろう。そして、冬が訪れ、凍てついた空気がこのポーキュパインに氷を張らせるのだ。オールド・クロウのみんなは九月の下旬には雪が降ると言っていた。崖下の日陰に入ると寒さが皮膚をチリチリと刺す。それまで雪が降らないにしても、寒さはどんどん厳しくなるだろう。ぼくは、のっぺりとした断崖をながめているうちに、何故か家のことを思い出していた。
 ぼくは、この旅に出る数ヶ月前に結婚した。妻は、働きながら小さなアパートでぼくの帰りを待っている。ぼくは、いままで長い旅に出ても家のことなど考えもしなかった。結婚するまでのぼくにとって、家というものは間借りをしているようで、本当の自分の場所ではなかった気がする。しかし、いまは違う。ぼくには、戻るべき場所があるのだ。そう思えるだけで、ぼくは安心して旅をしていられる。そして、ビーバーが、この旅を終わらせるために行かなければならない場所、この円を閉じる場所なのだ。
 翌日の昼過ぎ、ぼくは、キャニオン・ビレッジにさしかかった。アラスカに入って最初の集落にはキャビンが三つあった。川岸にはボートが四艘つながれていて、けたたましい音で発電機が回っている。男がひとり、壊れたスキドゥー(スノー・モービル)に座ってコーヒーを飲んでいた。
 ぼくは、ある男を訪ねようとしていた。オールド・クロウで一緒にブルーを飲んだジョンという男の義理の兄夫婦がここに住んでいるはずなのだ。ぼくは、コーヒーを飲んでいる男に聞いてみた。
 「こんにちは。ここにソニーって男はいるかい?」
 「ああ。あの一番上流に建ってるキャビンにいるよ」
 そのキャビンのほうへ歩いていくと、戸の前で子供が三人縄跳びをして遊んでいた。恥ずかしがって後ずさりする子供を捕まえて握手し、ソニーはどこか聞くと、その女の子は「Dad!」と叫んでドアを開けた。そこには目の虚ろな酔っ払いが立っていた。それがソニーだった。ジョンのことを話すと、「座れ」といって椅子を差し出した。
 キャビンは、四坪くらいの小さな部屋がふたつあり、ひとつはぼくらのいるダイニングで、奥の真っ暗な部屋は寝室のようだった。壁際では、ぼくの頭がついてしまうくらい天井が低く、太陽のない冬には暖めやすいように造られていた。ぼくは、これくらいのこぢんまりとしたキャビンが好きだ。
 最初はコーヒーを出されたが、話をはじめて打ち溶けてくると、二杯目からはレーズンでつくったブルーになった。オールド・クロウで飲んだものと同じように、とても薄い。
 「トモ。おれたちの言葉で『乾杯』はグッキニータイというんだ。こりゃ、相手の健康を祈る言葉だから、別れ際にも使ったりする。グッキニータイ」
 「グッキニータイか」
 「そう」
 酔いが激しくなってくると、ソニーは、なぜ自分がキャニオン・ビレッジにいるのかを話してくれた。
 かつてのキャニオン・ビレッジには、現在のオールド・クロウにいる人たちが住んでいた。そして、アラスカがロシアからアメリカに売られたとき、アメリカ領になるのを嫌った人々が、カナダへ移動し始めた。はじめ、人々は国境にあるランパート・ハウスに移ったが、飛行場などの設備を造るため、最終的に立地条件のいい現在のオールド・クロウに落ち着いたという。
 ソニーは、ユーコン川との合流点にあるフォート・ユーコンで生まれた。そして、いまから三七年前、ここで生まれたおじいさんに廃墟となったキャニオン・ビレッジへ遊びに連れてこられた。それから、おじいさん、ソニーの弟さんがここに住みついて、キャニオン・ビレッジを再建しようと努めてきた。しかし、お爺さんが他界し、数年前には弟も亡くなってしまった。ソニーは、ふたりの意志を継いでここに住むようになったという。このキャビンも弟さんが建てたものらしい。
 「いま、キャビンを二軒建ててるんだ。来年にはもう五軒建てる予定だ」
 大きくなるといいねというと、ソニーは首を横に振った。
 「大きくなくていいんだ。住みやすい小さな村をつくりたいだけなんだ」
 ソニーは、ブルーの飲みすぎで虚ろになった目でぼくを見ていた。しかし、その四〇過ぎの男の目には、「やり遂げる」という静かでしたたかな輝きがあった。そして、その瞳はこういっていた。
 この土地が好きだ。
 ぼくは、この酔っ払いが好きになった。
 ソニーは「誰も使っていないテントがひとつあるんだ。泊ってけよ」と勧めてくれたが、ぼくは「もうじき寒くなるから行くよ」といった。すると、彼は寝室の奥から、カリブーとホワイトフィッシュのドライ・ミートを取り出した。
 「これを持ってけよ。でも、あともう少し、ほんの少し後ならカリブーがたくさん来るのにな。まだ、少し早いんだ。もし、大きな角を持ったカリブーが川を渡っていたら、決して通りすぎちゃいかんぞ。少し待てば、かならずカリブーの群れが現れるはずだ。ブルは先導者なんだ」
 ソニーは椅子に座り直してそういい、右手を差し出した。握手した彼の手は固くマメだらけだった。それが、ソニーの生きざまのように思えた。
 キャニオン・ビレッジを出る。水の上は冷気が沈殿しているように完全に無風で、川は雪が積もるようにシンシンと流れた。
 日が暮れ始めた頃、右手から大きな支流、コリーン・リバーの流れ込みにさしかかった。コリーン・リバーは、大量の土砂と一緒に無数の倒木を吐き出していた。流れの中に、三〇メートルはある大木がたくさん転がっていて、流れを裂いていた。まるで大水が出たあとのようだ。
 その合流点の下には、大きなスタジアムがすっぽり入ってしまうくらいの広い河原があった。そこでキャンプすることにした。蝶ネクタイのような形をしたパスタに玉ねぎとケチャップを混ぜて食べる。なかなかうまい。一週間ぶりに頭を洗ってテントにもぐり込んだ。
 翌日、コリーン・リバーを出ると、川は、再び両岸に断崖がつづくロー・ランパーツに入った。頭上からは太陽の光が力いっぱいに降り注ぎ、Tシャツ一枚でも暑いくらいだ。聞こえてくる音といえば、森の奥から流れてくる風と、鳥のさえずりだけだ。紅葉しはじめた森の草木は黄色になる前の黄緑色で、まるで春先の若葉のように初々しく見える。斜陽が断崖のくぼみにつくりだす明暗。川面の揺らめきが岩肌に映って光の網になって動いている美しさ。水色の空には無数のちぎれ雲が浮かび、遥か彼方まで一定の高さでつづいていた。ぼくは、五感を尽くしてこの眺めを満喫する。極上の昼下がり。
 そして、いつもながら自分の存在の小ささを感じていた。しかし、それは非力ではあるが、失望にはつながらなかった。大地は、ぼくやぼくよりも小さい命をも取り込んでしまうのだ。そして、その小さなものが、実は自然の本質なのかもしれないと気づく。全てはつながり、よりそっている。どの点が欠けても円にはならない。
 八月の最終日、ユーコン・フラットに入る。ここから、川はユーコン本流から広がる平地に入り、流れは何本にも枝分かれする。川のすぐ脇まで迫っていた山は遠のき、流れはほとんどなくなった。河畔の森も最前列の木以外は見えなくなった。しかし、その上に広がる青空が常に大地の広大さを示している。地図を見ていると、ショートカットできるスルー(水路)もあるが、水量によっては途中で下れなくなっている可能性もあるので、まわりくどくても本流を行くことにした。のんびり行こう。
 このころ、ぼくは、一日川を下り終えて岸に上がり、テントを張って夕食を食べるまでの作業をいかに速くやってのけるかに熱中していた。それは、毎日やらなければならない同じ作業にうんざりしていたからでもある。毎日タイムを競い、競技化することで変化をつけたかったのかもしれない。旅という非日常は、二ヶ月近くつづいて日常化していた。
 まず、上陸すると荷物は舟に積んだままでテントだけを取り出して張ってしまう。それから荷物を全部岸に上げる。カヤックも岸に上げて、薪を集め、火を起こす。そして、米を磨いで炊いている間に全ての荷物をテントに片付けるのだ。はじめは五〇分かかっていたのが、三〇分でできるようになっていた。それから、ゆっくり火を眺め、空をあおぎながら飯を食べるのだ。
 午後一〇時過ぎ、東の森から雲ひとつない濃紺の空に月が昇った。しかし、それは奇妙な夜空だった。黄色く光る月のすぐ隣りに太陽の残照があり、北から西にかけて淡い紅色の帯が浮いている。月と太陽の光が同居しているのだ。そして、空はぼくに新たな一面を見せはじめた。
 はじめは、雲とも煙ともつかない薄く青白い帯がぼんやりと空を横断していた。それがある瞬間から緑の光を放ち、狂ったように動きだした。光は帯から玉になり、南から北へ一挙に駆け抜ける。かと思うと、たちまち南の端に戻ってきて、引いていた尾がふわふわとカーテンのようにうねりだし、空一面に広がる。それは、夜空を自在に飛び回り、次第に厚みを増し、濃くなって赤味を帯びた。見たこともない巨大なパワーだった。科学者がこれにどんなにもっともな説明を付けようと、ぼくは確信した。
 オーロラは生きている!
 ぼくは焚火の脇に横になり、オーロラと面と向かった。それは、海面に浮かんで深海の光る怪物を眺めているようでもあった。
 九月に入り、ぼくは自分の中で早くやってしまいたいことがあった。それは、たいしたことではなかったが、この旅を通して唯一の同行者、ぼくの気持ちがそれを欲しがった。
 ぼくは、ポーキュパインの地図をコンからコピーさせてもらっていた。つまり、それは白黒で濡れると簡単に溶けてしまうコピー紙だった。しかし、それが西経一四四度〇〇分を越えた地点で自分のカラー地図に変わる。ぼくは、一刻も早くその線を越えてしまいたかった。考えてみるとおかしな話だ。ぼくの心は、一四四度〇〇分の一メートル手前では満足せず、一メートルでも越せば満足するのだ。実際、そこには二メートルという違いしかないのだが、ぼくの心は、そこにこだわった。それは、進んでいるという実感が欲しかったからなのかもしれない。ぼくは、我武者羅に漕いだ。そして、その日の夕方、ぼくは、西経一四四度〇〇分をわずかに越えた。へとへとだった。下らないと思った。しかし、そうせずにはいられなかった。
 キャニオン・ビレッジを出てから快晴がつづいていたが、カラー地図に入ってから二日目の朝、フライシートに当たる雨音で目が覚めた。体が重い。ぼくは疲れ果てていた。ブルーフィッシュのキャビンを出てから、ぼくは、天候が崩れる前に進めるだけ進んでおこうと思っていた。距離を稼いでから、雨の日にでもゆっくり休もうと思っていた。そのときが来たのだ。フォート・ユーコンまであと二、三日あれば行けるだろう。ぼくは、連泊することにした。
 ぼくは、本を読みあさった。読んでいない本がまだ一〇冊ちかくあった。気温一〇度の寒い中、寝袋に入って、ぼくは本の舞台になった高田馬場、新宿、小田原、中国、台湾、ブラジル、パリ、スペイン、アメリカを飛び回った。そして、ふと本を置いて、自分で腕枕をする。丁度、腕時計が耳にあたり、チッチッチッと秒針が正確に時を刻む。フライシートの隙間から雨で冷めきった川が見える。こんな僻地に張ったびしょ濡れのテントで丸まっているぼくの上でさえ、時間は確実に進んである一点に向かってゆく。世間は正確に未来を削り、過去をはき出していく。しかし、ここで聞く人間が作り出した秒針は、滑稽でしかなかった。ここでは、時間を区切るのに春夏秋冬、もしくは晴れ曇り雨、昼と夜があれば充分だ。それでさえ、人間が感じる時間帯なのだ。原野はもっと大きなサークルで動いている。それを、街の時間で扱おうとすることはまったく馬鹿げていることに気づく。そのギャップがおかしくてたまらなかった。ぼくはひとりで笑っていた。と同時にこうも思う。そんなに長大な自然のサークルの中で人間の一生なんて一瞬でしかない。そんな限りある時間の中で、ぼくらは自分や相手のために、泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだりする。ひとを傷つけたり傷つけられたりする。その滑稽さもいとおしい。素晴らしいことだ。だからこそ、ぼくは自分のやりたいことをして、生きてゆきたいのだ。
 それから、三日間雨は降りつづき、ぼくはテントにこもりっきりだった。
 そして四日目の朝方、寝袋の中で夢とも幻覚ともつかない気配のようなものを感じた。それは、背後からただよって足元にまわり、ぼくの頭まで来てこう呟いた。
 「もう大丈夫」
 目を覚ます。テントの中は明るくなっていた。あの声はなんだったのだろう。男とも女ともつかない中性的な声だった。不思議に思いながら、ぼくは寝袋のジッパーを開けて、足でテントの隅に脱ぎ落とした。
 外に出ると、雲の間から日が射していた。大きく背伸びをする。やはり、三日間テントに潜っていた後に浴びる太陽は気持ちがいい。格別な開放感だ。
 川に出て、周囲の変わりように驚く。河畔の木々は紅葉の進み、鮮やかに黄色く爆発していた。川下から吹きあがって来る風がまともに当たりそうなところが一番焼けている。そこから、色彩調整のようにきれいに順序よく染まっているのが面白い。そして、鴨の編隊が空を渡っていく姿をよく見るようになった。動物も大地も、みんな冬仕度をはじめていた。
 そして、次の日の昼過ぎ、ぼくはユーコン本流に入る最後の直線に出た。フォート・ユーコンは、合流点から一キロほど上流の本流沿いにあった。ぼくは、どうしてもこの町に寄りたかった。食料が切れかけていたし、国の違う同民族の相違を見たかったからだ。
 そして、町に通じるルートはふたつあり、どちらで行くか決めなければならなかった。ひとつは、本流に合流してから流れを遡る行き方。もうひとつは、合流する手前で左岸から流れ込んでいるサッカー・リバーを遡って、町の郊外に出るルートだ。まず、本流を遡るルートを考えた。本流を漕いでいけば町に直接入ることができる。しかし、本流の流れが強かった場合、一キロも遡ることは不可能だろう。一方、サッカー・リバーは、細い水路で流れも遅いと聞いているので、町から離れてはいるが確実にアプローチできるルートだ。ぼくは、手堅くサッカー・リバーを遡ることにした。
 そして、サッカー・リバーの流れ込みに入った。川幅は一五メートルくらい。合流点は舟の底を擦るくらい浅かったが、しばらくルートを探っていくと、水深も一メートルくらいのところで安定した。大きな川から小さな川に入ると、開放感との代償に消えていた繊細な景色が迫ってくる。紅葉した木々の葉。枝から枝へ飛びまわる鳥。あらゆる物の輪郭がはっきりと確認できる。ぼくは、きょろきょろ辺りを眺めて細部を楽しみながら川を遡った。
 三〇分ほど漕ぐと川辺に下りてくる小道を見つけた。上がってみると、予想以上に深い森だった。今日は、この小さな川の横でキャンプしてもいいなと思っていたが、いまにもクマが出てきそうでとてもそんな気にはなれない。町へと通じる道も、凸凹で車がやっと一台通れるくらいの幅しかない。果たして、こんな道が本当に町へつづいているのかと不安になってくる。しかし、地図では、町までせいぜい二キロくらいしかない。ぼくは、ベア・スプレーを持って町に向かって歩き出した。誰かのピックアップで拾いに来てもらえばいいじゃないか。きっと車が見つかる。そう思うことにした。
 道は、ダートで水溜りがあちこちにあり、泥だらけだった。それでも、二〇分くらい歩くと、幅一五メートルくらいの広い道に出た。しばらく歩いていると、町の方からニッサンの赤いピックアップが走ってきた。通りの真中に立ち、車を止めて頼んでみる。
 「サッカー・リバーを遡ってきたんだけど、舟ごと町へ移動したいんだ。手伝ってくいれないか?」
 車には若い男ひとりと、中年ふたりが乗っていた。
 「おれたちは、いまからムースを見に行くところなんだがね」
 と、助手席に座っていた眉毛の濃い男がいった。
 「じゃあ、時間がかかるよね。分かった。他をさがすよ。ありがとう」
 といって、ぼくは再び歩き出した。乾いた未舗装の道が太陽の光を跳ね返してまぶしい。ぼくは、足取りが重くなるのを感じた。考えてみれば、むしのいい話ではないかと思えてくる。第一、車の気配など全くないし、町もまだまだ先のようだ。
 と、その時、後ろから走ってくる車の音が聞こえた。振り向くと、さっきのピックアップが戻ってくるところだった。車はぼくの前で止まり、太い眉毛の男がいった。
 「気が変わった。手伝ってやることにした。後ろにのりな」
 「ありがとう!」
 ぼくは、折り畳み式の後部座席に乗り込んだ。なんとかなるものだ。
 三人は、政府関係者らしく、ハンティングの取り締まりをしているという。みんな、マリファナを回し飲みしている。ぼくが「ハッピー・スモークか?」と聞くと「ハッピー。ハッピー」とオヤジがニコニコ顔でいった。この人たちは本当に役人なのだろうか。
 舟をつないでおいた場所に来ると、みんなで荷物を荷台に積み上げるのを手伝ってくれた。ぼくは、車から舟がずり落ちないように押さえるために荷台に乗った。
 車に乗って走ってみると、町まではかなりの距離があることが分かった。あのまま歩いていたら、あと一時間たっても町には着けなかっただろう。この人たちが拾ってくれて本当によかった。
 フォート・ユーコンの町は、静まり返っていた。同じグイチンの町でもオールド・クロウとは大分違う。まず、一軒一軒の家が大きな垣根で仕切られて、隣りの家とは完全に隔離されている。通りには人影がなく、たまに車が通るだけだ。活気が感じられない。七五〇人のひとが住んでいるようには見えなかった。眉毛の男は「みんなテレビを見てるのさ」といって笑った。
 男たちは、町外れの河原にぼくを下ろしてくれた。目の前に、久しぶりに見るユーコン川が広がっている。ユーコンはドーソンで見たときより巨大になり、中州をたくさんつくって流れていた。町のすぐ下にはポーキュパインの流れ込みが見ている。これなら苦もなく自力で上がって来られただろう。まあ、結果オーライだ。三人は「盗難には気をつけろ」といって、再びハンティングの監視に出かけていった。
 マシ・チョ(ありがとう)。
 テントを張って、ジッパーにカギをかけてから町を散策しに出かけた。さっきの男たちが、今日はレイバー・デイ(労働者の日)でどの店も休みだといっていた。川沿いに歩くと、道端に野菜畑が広がっていた。チェックのシャツを着た案山子が立っていて、一見、日本の田舎を思い出させる。しかし、みんな手入れが悪く、ほとんどの野菜が萎びていた。そして、日本の草むらなら耕運機やサニトラが埋もれているのに、ここでは錆びついたピックアップが転がっていた。細部を見ると、やはりアメリカ的だ。
 テントに戻って、ユーコンの泥水で米を炊き、日本から持ってきた「牛肉の大和煮」を開ける。これがうまかった。日本食は、缶詰といえども繊細で上品な味がした。やはり、ぼくは日本人だと実感する。
 翌日、ぼくは警察に行くことにした。アラスカに入って、まだ入国審査を受けていないのだ。通りを歩いている人に交番はどこかと聞いても、誰も知らなかった。それだけ需要も低いということだろうか。郵便局で聞いてやっと分かった。交番は役場の隣りに併設されていた。しかし、警官が留守だったので、となりの役所に行く。そこは平屋の小さな建物で、受付も何もなかったので、ぼくはどんどん奥に入っていった。すると、一番奥の一室に、立派な机に座って難しい顔をしている男がいた。早速、入国手続きはどこで受けられるのか聞いてみた。しかし、その男はフォート・ユーコンには手続きできる機関がないという。結局、フェアバンクス空港の税関でやってくれということになった。もし、フェアバンクスでもめると困るので、住所、名前、入国の経緯とサインを書いた文書をその男に渡し、もし、問い合わせが来たらそれで証明してくれるように頼んだ。男は快く了解してくれた。
 その足で、AC Value Centerというストアーへ行く。カナダと違って、品揃えが豊富なのに驚く。国境を越えるだけでこんなに変わるものかと思うほど、あらゆる物の種類が多い。食料を買い込んで、店の前にあるベンチで友人にポストカードを書いていると、赤と黒のしましまシャツを着た巨漢のおばさんがぼくの隣りに座って話し出した。かなり酒臭い。
 「あんた、どっから来た?」
 「日本から」
 「日本から!そりゃ遠いところから来たもんだ。んで、この町は好きかい?」
 ぼくは、たったいまポストカードに「酔っぱらいが多くてあまり好きになれない」と書いたばかりなのだが、素直にそういうことも出来ず「好きです」というと、彼女は怒りだした。
 「冗談じゃない!こんなろくでもない町なんか早く出たほうがいいわよ。みんな酔っ払い!ここでキャンプなんかしてちゃいけないよ。危ないよ。下手したら、あんた殺されちゃうよ!」
 まいったなと思いながら、ぼくは曖昧に答えてカードを書いていると、おばさんは「気をつけるんだよ!」といってどこかへ行ってしまった。
 しばらくすると、こんどは白人の男ふたりと女ひとりがベンチに座った。カードを全部書き上げてから顔を上げると、彼らはどう見ても地元の人間には見えなかった。旅をしている人が持つ生活感のない軽やかさが漂っている。ひとりの男は、ハンティング帽をかぶり、くすんだ色のセーターを着て、伸ばし放題に髭を生やしていた。ぼくは、そのセーターが気に入った。あまりにも汚くて、いまのぼくにはぴったりだと思った。そして、もうひとりの男は、のっぽで緑のスエットを着ていた。そして、そして、その女性。彼女。黄色いノースフェイスのジャケットに黒いスパッツをはいた小さくてスレンダーでクールでホットな彼女はチェコから来た妖精だった。彼女は金髪の細面で、青に少し茶色が溶けたきれいな瞳をしていて、白い頬が薄っすらとピンクがかっている。そういう彼女を一言で形容するとしたら、美しいという言葉に尽きるだろう。
 彼女はもう七ヶ月間、アメリカ大陸をヒッチハイクで周っているという。ああ、ぼくはなんで車をもっていないんだろう!なにもトラブルはなかったかと聞くと「一度もなかったわ」とたどたどしい英語で答えた。何もなかった!まったく、なんてこった。ぼくは信じられなかった。
 彼らは、この町からひとつ上流の町、サークルで知り合い、ビーバーより下流にあるハイウェイが通っているパイプラインまで一緒に下るという。ほかのふたりは彼女になんの好意も持っていないのだろうか。
 ぼくらは、近くのB&Bに入って、コーヒーを飲んだ。みんな新聞を読んだりポストカードを書いたりして、そのあいまにポツポツとしゃべった。しかし、ぼくは彼女を盗み見せずにはいられなかった。彼女は、うまく英語がしゃべれない分、かえって物静かで、不思議な魅力をかもしだしていた。いま思うと、ぼくはかなりのアホ面で彼女を見ていたと思う。それにしても、美しい人だった。
 三人と別れてテントに戻ると、今度は女がひとり、荷物を満載にしたボートの前で泣いていた。長い黒髪が前にバラけて、うつむいた顔は湿っぽく、混乱しているようだった。ぼくはどうしたらよいか分からず、買ってきたポップのプルタブを開けた。すると、彼女はぼくに気づいて、声を震わせながらいった。
 「ついさっき、叔父が死んだの…」
 女は酔っているようだった。ぼくは「お気の毒に…」というのが精一杯だった。どこで、どうして死んだのかなどとは聞けなかった。女はつづけた。
 「なのに、家の旦那ときたらひとりで行けってわたしをおっぽり出すのよ!ひどいわ!」
 と、声を荒立てて泣く。
 しばらくすると、物静かな男がひとり現れて、一言もしゃべらずにエンジンを回して女を乗せ、下流へと消えていった。なんともいえない空虚感が漂う。
 心寂しい町だな…
 やはり、ここはあまり好きになれない。
 郷に入っては郷に従え。気をとり直して、酒屋へ行く。ここは、酔いどれの町なのだ。酒は、掘建て小屋で売られていた。ぼくは、もう現金を二五〇ドルしか持っていなかった。それで、日本まで帰らなければならないのだ。だから、ぼくはクレジット・カードで支払おうと思っていた。しかし、ゲームボーイに夢中になっている店員の女の子は「キャッシュじゃないと駄目なの。ごめんなさい」と驚くくらい明るくいった。
 残念だが、酒は諦めるしかなかった。これ以上現金を減らしたくない。どうせ、ここまでドライで来たんだ。最後までなくたっていいじゃないか。ビーバーまで、あと二〇〇キロもないのだ。ピンとした頭でゴールに入るのもいいだろう。
 翌日、フォート・ユーコンは快晴だった。朝食をすませると、早速パッキングをはじめる。いよいよ、ビーバーへ。最後の行程だ。
 昼過ぎ、誰もいない河原を蹴って川の上に出た。
 ユーコンは、圧倒的にでかかった。岸は景色の両端に追いやられ、視界を越えて空と水が溢れ出す。それは、ぼくの体にも容赦なく入り込んできて息を詰まらせる。やがて、最後には自分が消えてしまい、この風景の一部になってしまいそうな気さえするとてつもない開放感だ。
 ぼくは、掌を空に向けて広げてみた。手が、どこにも掴みどころのない青空にはぐらかされているようでうずく。
 これが空の感触か…。
 そうしているうちに、何故か、ぼくは物悲しくなった。これが最後の行程だからだろうか。孤独を感じているからだろうか。季節が移っていくからだろうか。疲れているのだろうか。酒がないからだろうか。いろいろな言葉をその寂しさに当てはめてみるが、どれもどこかちぐはぐでしっくりとこない。
 夕暮れになって岸に上がっても、その感覚は消えるどころかぼくに重くのしかかった。テントを張った後、河原に子連れのクマの足跡を見つけたが、もう動く気にもなれなかった。ぼくは、重い体をだましながら、うつむいたまま火を起こし、米を炊き、缶詰のビーフシチューを口に入れる。午後九時、対岸に夕日が沈んだ。日に日に日没の時間が早くなっていく。ぼくは、頭まで寝袋をかぶって、必死に眠った。
 翌朝、目が覚めるとテントの中は太陽の光でいっぱいだった。外は、雲ひとつない快晴だったが、体を刺すような寒さだ。今日もだるい。そして、昨日湧き起こった妙な感覚は、まだ、そのまま体の真中に残っていた。ぼくは、その得体の知れない寂しさから逃げるように出発した。
 そして、力いっぱい漕いだ。しかし、ぼくはいらついた。なにかが体の中で湧き、全体に広がり、それがいっぱいになるとぼくは叫んだ。それがなんなのか分からない。ぼくは、それを振り払うように舟を漕いだ。腕がだるく、辛くなっても漕ぎまくった。
 そうして、六時間が過ぎた頃、それまで何本にも流れを分けていたユーコンが再びひとつに合流しているところに出た。それは、あと二〇キロ下ればビーバーに着くというサインでもあった。キーンとワタリガラスが金属音のような声で鳴く。鴨が隊をつくってヒュヒュヒュと羽音をたてて飛びあがる。風が川面に波紋をつくってぼくを追い越してゆく。もう晩秋といっていいだろう。日が陰りだすと、川の上の気温は一分ごとに下がっていく。頬にあたる冷気が気持ちよいものから刺すような冷たさに変わった。
 ぼくは漕ぐ。
 物資を上流に運ぶバーチ船とすれ違うと、川は長い直線に入った。そこから見えている夕闇の中に人口一五〇人の小さなエスキモー村があるはずだ。
 ぼくは、何故、ビーバーを終着地に選んだのか。それは、昔、フランク安田という日本人がつくった村だからだ。そこに眠る彼の墓を参りたかったからだ。と思っていた。しかし、それは違った。いま、気づいた。ぼくは、ただ単に、自分にとっての区切り、目標が欲しかっただけなのだ。常に次の町を目指したように。ポーキュパインで西経一四四度線を目指したように、ぼくには進むための目標が必要だったのだ。自分が「うん」と頷ける目標がほしかった。それが、ビーバーだった。
 ぼくは漕ぐ。
 ぼくにとっての旅は、何かに向かって進んでいくことだと気づく。ぼくがしたいのは、「放浪」ではなく「旅」なのだ。慌てず、ゆっくりと一点に向かう旅。自分の存在を確かめながら、その行程を楽しむのだ。ひとは何かをするときに自分が納得できる対象物が必要なのかもしれない。
 やがて、オレンジ色に輝く夕日の下に、目を細めてやっと見えるくらいの闇に沈んだビーバーが見えてきた。
 ぼくは漕ぐ。
 ひとり旅の終わりはいつも静かだ。そこには、迎える人もなく、終わったと騒ぎ合う相手もいない。ぼくがそこに求めるのは自分に「うん」といえることだけだ。カナダからおよそ一六〇〇キロ漕ぎつづけたぼくの中身は空っぽになっていた。叩けば「こん」と音がするだろう。
 薄っぺらな森の向こうに日が沈み、どこからともなく闇が忍び寄る。ぼく舟は、誰もいない河原に乗り上げた。
 そして、確信した。
 これでいい。